2 父のこと 母のこと 祖父母のこと

父のこと

私の父は穏やかな性格の中にも、芯の強いところを持っていた人だった。太平洋戦争が始まるころまで呉服屋をしていた父は、いつも和服姿で洋服を着たのを見たことがない。上背のあるがっしりした体つきに着物がよく似合い、角帯を締めて端然と正座する姿には一種の風格があった。頭は丸刈りで、ついに髪を伸ばしたことがなかった。

呉服を商う商売柄、人にも愛想が良く、家長として家族の面倒見も良かった。私は父が大好きだったし、家族のみんなも父を尊敬し信頼を寄せていた。

父が得意先回りをする時は、着物の裾を端折(はしょ)って後ろで帯の間に挟み、冬は中折れ帽、夏はカンカン帽をかぶり、自転車の荷台に沢山の反物を入れたボテ箱を積んで商いに出た。自家用の車などない時代だった。

ある時、商いの途中で反物を積んだまま、自転車ごと盗まれたことがあった。注文の品を届けに得意先のお宅に入って自転車は道に置いたまま。「やられた!」と顔面蒼白になって戻ってきた父を見た時、大変なことになったと、子供心に胸が騒いだことを覚えている。私が小学生のころだった。

父はまた世話好きで、私たちきょうだいが通う小学校の後援会の役員を務めたり、町内の世話役も引き受けたりして、そのころの父は隣近所で人望も厚かった。

やがて昭和十六年十二月八日太平洋戦争が始まり、呉服の商いはできなくなった。父は徴用にとられ、反物を扱う手に造船所でハンマーを握った。戦況は日に日に悪化し、食べ物が無くなっていった。父は造船所で毎日おやつに二個ずつ出る黒パン(黒くて丸く平べったい団子のようなものだった)を自分は我慢していつも持ち帰っては私たち子供に食べさせてくれた。

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