『親が子どもに』「子どもが親に」もありだな

こういう夫婦でしたが、この調整役を担っていたのが、子どもたちでした。特に調整力が抜群の妻が担っていた部分も相当あったのではないかと推察しています。妻は「もしかしたら、この夫婦を育てたのは、私かもしれない」と言っています。この言葉はこれから語る母の認知症の物語でも重要な意味を持っていると思います。

よくこんなことが聞かれます。

「何でもできた両親が認知症になってだんだんできることが少なくなるのはつらい」「こういう気持ちが基底的にあって、だからもっとしっかりしてよ」という思いから虐待に結びつくという言説もあります。注2

子どもにとって人生の目標となる親の対象は、子どもと接する時間が父親に比べて相対的に長くまたその関係も濃厚である母親なのでしょう。

ある意味人生の先生であるその母親が高齢期に少しずついろいろなことができなくなるとき、特に娘にとっては、「あんなにしっかりしていたんだから、どうしたのよ」となってバランスを失い、だから距離をとりにくくなり、感情的になることがあり得ます。

人生の師匠、先生や私の女性としてのロールモデル(お手本)である母親が瓦解(がかい)する姿は受け入れようとすればするほど悲しい、つらい、ともすると憎しみの感情さえこみ上げてくるのではないかと思います。

しかしこの母娘はこのような姿ではなかったと娘(妻)はいいます。

「母がしっかり者で、そしてできる女性とは一度も考えたことはなく、不遜に聞こえるかもしれませんが、私が母を育てたと今も思っています。だから母親が何かができなくなるギャップで苦しんだことは一度もありません。

そうはいいながらも「母が子どもたちを愛し、子どもたちも母が大好きであったこと」は紛れもない事実です。ただしそれが子どもへの支配と感じることは一度もなかったです。どういっていいか分かりませんが、それはきっと親と子の“イーブンな関係”というか、親が子を頼る関係があったからなのだと思います。こういう背景があったので、通常の娘母関係から生じる「緊張」のようなものはなかったといえるかもしれません」

この母娘のスタイルは、我が家の同居でも感じられました。前にも述べましたが、親は子どもを育てるが、よく考えてみると子どもによって親は育てられていることは確実にあるようです。

 

注1:鎹(かすがい)は本来、木材をつなぎ合わせる金具。そこから転じて二人をつなぎ止めるモノ。「夫婦にとって子どもは鎹」と言ったりもする。

注2:植田菜々子 「老親介護からみる母娘関係:痴呆症(認知症)介護の現状を踏まえて」 京都大学 教育方法の探究 第8巻第8号(2005年) pp.66-74。この他に齋藤学 「家族という名の孤独」 講談社 初版1995年 が参考になる。

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