ジャンネット
二年後、長男ロドルフォが、更に二年後には次男アンジェロが誕生した。ピエルルイージ家は、父、義母、弟、妹を合わせ八人家族となったのである。それに加えて、一家にとり更なる幸せの訪れとなる、新たな知らせが届けられた。
「ジャンネットのジューリア礼拝堂聖歌隊楽長就任」である。
ジューリア礼拝堂聖歌隊は、別名ヴァチカン聖歌隊、またはサン・ピエトロ聖歌隊とも言われる。言わずと知れた、ローマカトリック音楽最高峰の地位にある聖歌隊である。
その上にあるのは、教皇個人の礼拝だけに歌う「教皇聖歌隊」(現在のシスティーナ礼拝堂聖歌隊)のみである。ところがこの教皇聖歌隊はあくまでも教皇個人の所有の為、教皇が変わる毎に不安定な存在であった。このことで数年後、ジャンネットは生涯を通じての苦渋を味わうわけだが、今は置いておこう。
一体どういう訳で、このような幸運が天からもたらされたのだろうか。
「フォルトゥーナ」は、やはり幸運の女神であった。女神はまず、パレストリーナ司教のデル・モンテ枢機卿の上に微笑んだ。枢機卿とは教皇を補佐し、次の教皇となる資格を有する聖職者である。
デル・モンテ司教は、七年間ジャンネットとともにあった。そして厳しく、慈愛の眼差しで彼を見つめていた。
この大聖堂全体、翼廊や側廊の隅々までを柔らかく包み込むオルガン奏者としての卓越した技量。毎日のミサで、誰よりも美しく心から唱えられるグレゴリオ聖歌。類い稀な合唱の指導力。そして作曲された数多くのミサ曲やモテットなどの合唱曲。その控え目な中に軽やかに醸し出される典雅なハーモニーは、今まさに岐路に立っているカトリック典礼の範となるものである事を、司教は心から確信していたのであった。