次の着信は、十時五分。同じく櫻井氏から夫人にかかっている。

「電車で帰るつもりだったが、終電を逃してしまったので、今夜はこっちに泊まろうと思う。明日は休みだからゆっくり朝の電車で帰るよ」

櫻井氏は、以前から頻繁に実家に立ち寄っていた。たまには泊まることもあった。

夫人は特に問いただすこともなく分かりました、と言って電話を切ったという。

「ご主人がその日、急に実家に泊まると言ってこられた理由について、何かおっしゃっていましたか?」

夫人はしばらく間をおいて考えていたが、首を振ってこう答えた。

「芳名帳を取りに行くと言って電話があったのは確かだけれども、主人のことだから、きっと実家でほかにも用事を思い出して遅くなったのだろうと思ったのよ」

「それでは、その四時間の間にご主人は一体、何をされていたのでしょうか?」

「さぁ。日中だったら、植木の(せん)(てい)とかね。色々あったと思うのだけど……」

「夕方の日が落ちてからですもんねぇ」

あずみも首をかしげる。

すぐに帰ると言っていたのに、なぜ四時間もそこにいたのか?

家の中の用事でないとすれば、誰かと会っていた?

そのとき、あずみの中でひとつの仮説が浮かんだ。だが、その仮説について、今この場で夫人に問うてみるのは、内容から言ってもはばかられる……。

結局、その話の中で、櫻井氏が四時間の間に何をしていたかという疑問は、家族間ですら謎のままで終わっており、思い当たる答えは見いだせなかった。あずみも家族なら何か分かるかもしれないと簡単に考えすぎていた。

【前回の記事を読む】たったひとりの肉親を亡くしたあずみ…過去に背負った「ずしんと重い気持ち」