当時、木村さん(仮名)は100歳を超えてもなお非常に上品なご婦人でした。

木村さんは、大正時代の終わりに牛込区(現、東京都新宿区)で生まれ、小さい頃はスポーツ万能の女の子だったそうです。また、女学校時代も大変お洒落でマドンナ的な存在であり、よく早稲田大学の安部球場にも野球を見に行かれていたので、野球のことは驚くほどよくご存じでした。

木村さんは女学校を卒業後、その職員として働いたそうです。そして20歳前半でお見合いでやさしい男性と結婚をされたそうです。ここまでは、まあまあ普通の話です。

麹町区(現、東京都千代田区)の料亭で、木村さんご夫妻のささやかな結婚式を行った翌日は伊豆に新婚旅行に出掛ける段取りとなっていました。

本題はここからです。

この結婚式が執り行われた日というのは、何と1936年(昭和11年)2月25日だったのです。この翌日、帝都・東京を揺るがす大事件が勃発しました。そう「二・二六事件」です。当然、首相官邸のある永田町を中心に麹町区でも戒厳令が敷かれました。

雪が降りしきる朝、木村さんご夫妻は、伊豆への新婚旅行に行くために、用意された車で麹町を出発しました。

当然、このような状況のため、道々には帝国陸軍軍人が物々しい雰囲気で検問を作っています。車内の木村さんは何か重大なことが起こったのかと非常に胸騒ぎを覚えたそうです。

そうする内に、木村さんご夫妻を乗せた車は、九段坂方面から靖国通りを市ヶ谷方面に向かい、市ヶ谷橋の上に差し掛かりました。

その時、検問で車を止められ、次のようなやり取りがあったそうです。

青年将校「どこに行く」

運転手「新婚旅行で伊豆に向かうため駅までお二人をお送りしています」

青年将校「車内を調べさせろ」

運転手「このお二人だけで他に何もありません」

青年将校「いいから、調べさせろ」

そして、おもむろに検問に立つ若い青年将校は、その銃口を車内にいる木村さんご夫妻に向けてきたそうです。

この二・二六事件では多くの政府要人が射殺されたのですが、きっと、この車内にも政府要人が隠れているのではと、青年将校は疑ったのかもしれません。

結果、青年将校が車内を検査、車内から何か出てくることはなく、そのまま市ヶ谷橋を無事通過することができ、木村さんご夫妻は新婚旅行に行くことができたそうです。

偶然ですが、私の自宅はこの市ヶ谷橋の側であり、人の行き交う市ヶ谷橋を歩きながら、この木村さんの話を時折思い出します。このように様々なことを教えてもらえる、そして平和のありがたみを噛みしめています。