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第一章 過去の足跡 先人の努力を見る
『何が私をこうさせたか ── 獄中手記』金子文子 岩波文庫 二〇一七年
厳しい生い立ち、腐敗した社会の犠牲
著者は、戦前の一九二三年関東大震災の際、朝鮮人である夫の朴烈と共に、皇太子暗殺計画の罪で検挙された女性だ。関東大震災の時には想像もできないような流言飛語が飛び交い、それまで日本人が虐げてきた朝鮮人が暴動を起こすという恐怖から多くの罪もない朝鮮人の虐殺が起こった。
そのような社会背景の中で、夫が朝鮮人であるということも相まって、当時の警察がありもしない事件をでっち上げたという説がある。さらに金子文子は投獄され、死刑判決が出た後に無期懲役刑に減刑された。その後、拘置所内で首をつって自殺した。若干二十三歳の若さであった。この出来事も標題の自叙伝を読むにつれなんとなく不自然さが募ってくるのである。
金子文子のこの自叙伝はわかりやすい平易な文書でつづられており読みやすい。ほんのちいさな子供の時から、身近な者達よりいかに酷い仕打ちを受けて来たのか、そして、そんな仕打ちをされた背景にはその当時の社会のありようが人々に影響を与えているということ、そのような内容が冷静に淡々と記録されているのである。
封建的父権制社会、貧富の差、階級意識とそれに基づく差別、そんな社会の中で、社会的責任を負わない入籍のない結婚、そしてその間に生まれた戸籍も与えられない子供、それが金子文子であった。
話は飛ぶが、何年か前中国において「一人っ子政策」の元で多く出現した戸籍の無い子供達。日本人の多くはこのことに対してなんて中国はひどい国なのだという感情を持ったと思う。しかし、一世紀にも満たない前、日本もそれほど違わない国であったのである。
しかしながらよくこの手記が残っていたものだと思うのである。それは生い立ちの部分のみを書き、本当に重大な検挙前後の事を書かなかったから残ったのかも知れない。
その時代の社会の不都合な部分、これを記録として残し、反省し、改革していかない社会には未来がない。今ではそんなことは周知の事実である。
そんな記録を残すことすら許されなかった当時、その社会のありようを後世に残してくれたこの自叙伝は本当に貴重なものであると思う。
自叙伝のタイトル『何が私をこうさせたか』はまさに検挙されるに至った背景や自分の生い立ちが延々とつづられているのである。
逆境にあっても強く、正直に、まじめに生き、向学心と聡明さを持った素晴らしい女性である。そしてその対称的なものとして、当時の腐臭にみちた社会や権力者の汚さ、姑息さ、そういったものが彼女の文章の行間から見えてくるのだ。彼女が生きながらえていれば社会が良い方向に向かうよう大きな影響を与えたであろう。
彼女の早逝が惜しい。
(一九八四年二月発行の筑摩叢書には鶴見俊輔さんが解説を書いている。)