ザ・バサラ

悠子と優は中川館長と基本調査の方針を協議した。館長の指示に従い信長の文化、経済政策および人間関係に焦点を定めることを決めた。そしてこの路線でどこまで堀り下げられるかが重要だと感じ取った。

次に悠子は北野優と役割分担の話し合いをした。悠子は北野の上司の立場であったが彼の考えもこの調査に盛り込みたいと思った。奈良大学では森村教授にいつも教えられていた。文化創造には複数の人が関わって創られている。そのことは文化を理解するうえで大前提となる。一人の判断で結論を出すことは避けるべきだ。

いろんな可能性を検討し、関係者の人間性、人間関係を洞察することができてこそ、文化の真実にせまることが可能となると。森村教授の顔を思い出しつつ北野に言った。

「貴方には信長の基本的調査をお願いしたい。戦闘事項については主要部分にとどめてください。その他においては時系列の事項と、人間関係の分かる範囲で列記してほしい。とりあえずそのスタイルでいきましょう。実地調査は信長の歴史に沿って進めましょう。わたしはその事実からの推考を担当します」

こうして二人は活動を開始したのである。

近鉄線勝幡の駅に二人は来ていた。愛西市は信長生誕の地として市内にある勝幡をアピールしている。市内観光の看板にしている。

信長生誕地の特定は学会においてさまざまな論議があった。最近になってようやく勝幡説で落ち着いた。駅前広場には信長の銅像があり勝幡城の模型を展示している。そして勝幡を中心とした絵図と歴史文化を明示した案内図があった。

案内図に従い勝幡の町中へ歩き、勝幡城を見てみようと二人は歩いた。駅の広場から勝幡城に向かい始めるとすぐに道路上に図示されていた。勝幡城まで九百六十メートルと書いた矢印があった。どうやらこの案内の通りに進めばよいようだ。

町の中心に来ると古い建物が目に付いてきた。歴史を感じさせてくれるお寺の造りを見る。山門、本堂、鐘楼どちらも丁寧な彫刻が施されている。側にある地蔵堂にしても貴重な文化財に思えるほどの凝った造りだ。信仰心の深さとともに、この地が経済的に豊かであったことを示している。