ザ・バサラ
七月の週末にこのプロジェクトの出発懇親会をすることになった。どうやら中川館長と山倉教授の企みのようだ。会場は当然割烹山野である。
今日は座敷であった。出席者は四人と限定された。これも館長の心配りであった。おおげさにすれば悠子が気まずい思いをするであろうと考えた。また山倉教授にたいする感謝の気持ちと、悠子と優に対する期待を合わせて考えた結果の懇親会であった。最初に乾杯をかねて中川館長が挨拶した。
「信長公の調査が本格的に動き出した。博物館職員もみな注目している。全員がいつでも応援する気でいる。君たち自身のスタイルでよいから思い切りやってみて欲しい。山倉教授にも時には手助けをお願いしたい」
そこで乾杯となった。館長の話はいつも短い。短いけれど今夜は力強い挨拶であった。
「ところで森村教授の門下生は酒に強いと聞くがどうだ」
ここで山倉教授が苦笑しながら答えた。
「何かいろんなところで神話のように言われています。ですが酒の飲めない人も居ますよ。ただし悠子くんはそこそこ酒に強いようです。北野君はどうですか」
北野優は笑いながら言った。
「小笠原さんほどは強くないですが、まあ酒は好きなほうです」
それを聞いて悠子は北野をにらみながら「うそばっかし」と言ったので皆が大笑いをして、座がなごやかな雰囲気に包まれた。山倉教授は悠子にたずねた。
「調査はどこまで進んでいる」
悠子は一呼吸おいて話をした。
「信長は愛西市の勝幡で生まれ少年期を過ごしています。津島とは歩いて一時間かからない場所です。どうやらそこに信長の性格を作った秘密があると考えています」
山倉教授はそれを聞いて中川館長にたずねた。
「館長、たしか津島は木曾三川と伊勢湾の物流の拠点ですよね」
館長はビールをごくりと飲んで言った。
「当時の日本は水運が物流の主流であった。日本に街道はあったが、人がやっと通れる道幅しかない。おまけにいたるところで川に阻まれていた。したがって物流は水運に頼らざるをえなかった。何よりも、馬車より船による水運の方が量を運べた。最も河川の場合、下流へは良いが、上流へとなると川の流れに阻まれた。川幅があり、水量が豊富の所では帆を掛けて船を動かした。
中継点として、場所を選び川湊の拠点を造っていた。津島は木曾三川と伊勢湾との物流の拠点として栄えた。それ故、堺や博多とならんで、巨大な商人が発生した場所となった」
中川館長は生き字引のごとく語ってくれた。