静かに話を聞いていた北野が発言した。
「日本海の北前船もそうですね」
館長はうなずいて話をさらに続けた。
「北前船は奥州から九州にかけての日本海、さらに瀬戸内海を通り大阪湾までを交流域としていた。つまり日本の北半分を商圏域として活動していた。京の都や大阪には敦賀から、或いは小浜を経て陸路を通り、琵琶湖水路を活用して京都、大阪に荷を運び日本の最大物流経路として動かしていた。北日本の物産を京都や大阪に運ぶ場合、この方が早く便利であったからだ」
館長の説明に皆がうなずくばかりであった。そんなおりに山野の主人が顔を出して挨拶した。
「皆さんおそろいで来ていただきましてありがとうございます」
続けて主人は言った。
「今日、初夏の盛りとして奥長良、和良の鮎を召し上がっていただきます。最近、開催されました鮎料理グランプリで優勝している鮎です。がんばって調理しますので召し上がってください」
と言って主人は下がった。早速出てきたのは塩焼きであった。大きさは十八センチから二十センチくらいであった。皆黙々と食べた。少し甲高ながら、肉厚はなかった。ただし歯ごたえと香りは十分に感じられた。お腹の内臓は食べる前から気になっていたが、思い切って食べてみるとほろ苦さと甘みが一緒になりうまみに感じられた。
皿に二匹乗っていた。しかしあっという間に食べ終えると、まだ何匹も食べられそうに感じた。ここで山倉教授が言った。
「食い道楽の大阪では、昔から長良の鮎は五割増しという伝説があります。この鮎を食べると実感します。やはり食べてみるとこちらの鮎は違いますね」
ここで中川館長は得意げに話を切り出した。
「悠子さん、鮎は年魚であることは知っていますね」
「はい、私は美濃で育ちましたので小さい頃から鮎を食べていました。でもこんなおいしい鮎を食べたことはありません」
館長はうなずいて話を続けた。
「鮎はきわめてデリケートな魚である。鮎は中流域に生息している。およそ標高八百メートル前後までとしている。それ以上は山女と岩魚の領域となる。鮎は主食として石に付着する苔を食べて成長する。稚魚のうちはプランクトンや羽虫など小昆虫を食している。しかし成魚になると苔だけしか食べない。おいしい鮎は当然のこと、おいしい苔を食べたことになる。
ではおいしい苔はどこに発生するかで、うまい鮎と因果関係がはっきりする」