さが空回りして

日本が復興に向けて、社会も経済も、その歩みを強く踏み出していく時代である。さまざまな産業が息を吹き返し、多くの労働者が求められていた。元気な体さえあれば、どうにでも生きていける、そう考えた。私は仲間と共に名古屋に出て、新しい職場を探した。すぐに熱田区にある研磨工場に働き口を見つけた。寮があったので、住むところにも困らぬ。まぁいいか。そんな軽い気持ちで決めてしまった。

しかしここでも、労働条件はさほど変わらない。むしろもっと難儀したのは、研磨によって工場内に撒き散らされる粉塵だ。換気が十分でないため、常に工場内は(もや)がかかったようにうっすら白く見えた。

「こんなところで一日中働いていたらたまらん」

「いつか体を壊すに決まっている」

近江絹絲から一緒に来た仲間たちと口々に不満を言い合った。労働者には権利があることを学んだ私たちは、今までのように黙って経営者の意のままになってはいけないと仲間たちで相談して、声を上げる決意をした。そして、せめてこの過酷な労働条件に見合うよう、給料を上げてほしいと専務に交渉した。

しかし経営者側は「ノー」としか言わない。怒った私たちは、それなら再びストだとばかりに、寮の布団にもぐって出社を拒んだ。専務が様子を見に来たので、

「腹が痛い、頭が痛い」

と言って、部屋から出なかった。