こうして見てくると雄太の九段での活動範囲も限られてくる。それは雄太が学生であったからだ。

本業は学生である。一面では青春を謳歌したと言ってもよい。自分勝手でやりたい放題、親不孝ばかりしていて破天荒の生活を送っていたのがその理由だ。全くもって放蕩息子だ。

地下で眠る両親や後年、縁あって結ばれた妻や妻の両親までもがとばっちりをくらって多大の迷惑を被った。すまないと心の中では思っていても精神が熱で浮かされていたから他人の忠告など何処吹く風だ。自分自身でもコントロールが利かず、たがが外れた桶のようだった。

大した人物でもないのに、大物ぶっている姿には自分自身でも辟易する。何とか一矢を報いたいと思っているがなかなか神が許してくれない。そんな甘いものではないのが人生である。

(たい)(しょく)(いん)()とを去るべし」もったいぶった態度でいかにも物識りであると見せかけ、身分を超えたことはしないことを雄太のモットーとし、「決してこのような人物にはなるまい」と戒めるが、いっこうに効き目がない。

やはり血統なのか、直らない性格なのか。内心とは裏腹にブレーキの利かない行動には自分自身でも呆れてしまう。

大学二年、期末の一月ともなると雄太は悩む。自分は今後どういう人生を歩むのだろうか? 夏休み、冬休みとなると帰郷する。その度に県会議員のおじの青山源次郎へ挨拶に行く。

おじが「先日ソビエトへ視察訪問に行った時、お土産にもらってきたんだ、これあげるよ」と小さなリンゴ五、六個を新聞紙に包んで渡してくれた。雄太が「それにしても小さなリンゴですね」と言おうとして慌てて止めた。失礼ではないかと反省したから。挨拶の中で雄太自身の進路で悩んでいることを相談した。

おじは「雄太ちゃん、これからは技術系の世の中になる。日本も先進国に向かって技術を磨いていかなければならない、雄太ちゃんも技術系の学部で勉強したらどうなの?」とのアドバイスがあった。

雄太は「そうかその手があったか、ならば挑戦してみよう」と思い、合点して手を叩いた。悩みが吹っ切れたような気がした。雄太は一瞬、これからの自分の進路が開けたような気がした。

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