三十一
ときどき、高校時代の国語の先生を思い出すことがある。恋愛偏差値の見事なくらい低い修作は、それが恋心であることをあの頃認識することすらできなかった。
今になって、ようよう、ああ、そういう感情だったのではないか、と思いかえすのが精一杯のことである。一歩を踏み出すことができなかったために、教師と生徒の距離を縮めることはなかった。だからこそ、いつまでも、こうして思い出しては、うつうつとするのかもしれない。
三十二
国語教諭は図書室で静かにひとり本を読む修作の隣の席に座ると、「何読んでるの?」と尋ねた。
修作はぶっきらぼうに三島の『仮面の告白』と答えた。
「ふーん、三島由紀夫が好きなんだ?」と聞いてきた。
修作は「嫌いです」とまたボソリと答える。
教諭は、微笑しながら「嫌いなのに読んでるの?」と続けた。
「嫌いだから読んでるんです。なぜ自分は三島が嫌いかをたしかめるために……」
「へえー、森下クンってやっぱりおもしろい発想するわね」
言いながらも教諭の表情は真顔に変わった。
それからしばらく先生は修作の隣に座って、最近見た映画の話で盛り上がったりして修作の相手をしてくれた。
遠くでは部活をする生徒の声々がした。野球部のかけ声、ボールを打つ音、吹奏楽部の練習する楽器の音などが聞こえていた。
「こうして静かに一人で図書室で本を読む時間が一番学校に来ていて好きです」
「あたしもそう。一番放課後のこの時間が好きだわ」
「一緒ですね、先生もボクも……」
「そうだ、森下クン、これ読んでみたら」
そう言って先生は『萩原朔太郎詩集』を修作に渡した。
文庫本を見つめる修作に「かえさなくてもいいから、あげる」
「ありがとうございます」
「ねえ、森下クン、詩をたくさん書きなさい。ノート一冊分できたら見せて」
「……詩…」
「じゃあね」
先生はそれをしおに、スッと立ち上がると、図書室を出ていった。