ひとしずく
どうもおかしい、とひとしずくは思いました。
「他のみんなはもうとっくに旅立ったというのに、ぼくだけがここにいるのはなんだか変だ」
知らないうちにやり方を間違えたんだ、そうでなきゃ自分だけがここに残されるわけがない。そう思い至ったひとしずくは、兄弟たちがしていて、自分はしてこなかったことを探してみました。早くも手持ち無沙汰で途方にくれていたのです。早く追いつかなければという焦りもありました。
ここで、この葉の上で、自分がこれからできることなど何ひとつないように思われました。そこで、思いつくままに、あの決まり文句を自分も唱えてみたのです。
「それじゃ、サヨナラ。また今度!」
何となく気恥ずかしかったので、はじめは口の中だけでもごもごとつぶやいてみました。けれど数回もくり返せば、ひとしずくだけの歌ができてくるようで、何とも楽しいリズムです。何よりこうしていれば、一番びりけつではあるけれど、自分もみんなと同じく次の旅へ出かけられるのだと思え、心が逸るのでした。
「それじゃ、サヨナラ。また今度! それじゃ、サヨナラ。また今度!」
ひとしずくは声を大にして、何度も何度も言ってみました。ところがそのうち、ひとしずくはまた奇妙な気持ちになってゆき、ついには口をつぐんで黙りこんでしまいました。「サヨナラ」と「また今度」をくり返しているうち、これらのことばがだんだんとまじないのように感じられ、よくわからなくなってしまったのです。
(サヨナラって誰に? また今度ってどこで?)
この広い森の中で、小さなひとしずくが難しい顔をしてこんなことを考え込んでいるなんて誰が想像したでしょう。すぐそばにいるクマザサでさえ、未だ自分のことで精いっぱいだったので一滴分の悩みには全く気が付いていませんでした。先ほどのひとしずくのリズミカルな歌ですら、微風にそよいだかすかな葉音にうもれかき消されていたのです。
(サヨナラってぼくに? また今度って誰へ? みんなはそう言ってどこかへ行ってしまったけれど、だからって本当かどうかはわからない)
ひとしずくは、ぶるりと身震いしました。風が冷たかったからではありません。すっかり怖気づいてしまったのです。自分のからだにまだ少しだけ残っている雪の華は、先刻よりも溶けかかり、くずれているように見えました。
目の前にいた兄弟たちは真っ白い六角形の結晶がすっかり溶けきる寸前、あの呪文を明るく唱えていなくなりました。スルンと形がなくなって透明な無になるのです。そのまままっすぐ土壌に落ちて音もなく吸収されたものもいれば、残雪にぼそりと落ちるものもおり、あるいは朽葉にピンとはね返されたりしたことまではわかっていました。そうしたかすかな水音は真上にいるひとしずくにも聞こえていましたから。ところが、それだけなのです。
「サヨナラ」と「また今度」の続きなんて本当にあるのかしら。ひとしずくは確信が持てなくなりました。