成長という木
佐伯はそう言うと本当に悲しそうな顔になった。そして、少し考えるような仕草をした。
体の向きを変え、壁に掛かった白い模造紙を指さした。模造紙には大きな一本の木が描かれていた。表題には「佐伯玉子の成長の木」と書かれている。
「玉子って佐伯先生の名前ですか?」
「そうよ。可笑しいでしょ。その名前でいじめにあったのよ」
それは小学校の時だった。しかし、玉の意味に宝石と言う美しいものという意味があるのを知っていじめに立ち向かった。親が愛情込めて付けてくれたのだと思って、いじめに負けなかった。頑張ると木は上に成長していく。純太は佐伯のプライバシーを覗き見しながら、シンパシーを感じてきた。
「中学の時告白して失恋したとか書いてある」
「そう。悲しかったけど、直ぐに立ち直った。頑張ったなあ、あの頃」
「こんなこと書いたら、生徒たちの良い笑い者ですよ」
「良いのよ。自分からオープンにならないと、誰もこっちの話を聞いてくれないでしょ? 今の子たち。個人情報とかプライバシーとか言っていたら、本当の心って通うのかなって常に疑問があって」
と照れたように言った。
「そうなんだ」
「いじめとかで死んで欲しくないと思って。人生には色々な事があって当たり前」
新卒の先生は悩みを抱える子どもたちと接する仕事に情熱を注ごうと意気込んで保健の教師になった。自分の知らないところで子どもたちがひっそり死んでいく現実を新聞やマスコミで知るのが悲しいと言った。机の中にはそうした記事の切り抜きをスクラップしたノートがあった。二年前の聡の記事もあるのかなとふっと思った。
「実際もどかしいのは、新聞に書かれた記事なんか読むと、誰も知らない訳、それがいじめによるのか、そうじゃないのか」
佐伯は自説を通し、自問自答を繰り返してきた問題を声にした。
「この学校で今いじめとかあったりする?」と探るように聞いてきた。
「先生。もういじめはないですよ」
「えっ、ホント?」
佐伯は疑わしそうに語尾を上げた。
「今はいじめって言わないんです。いじりとか、からかい。暴力は笑いとか冗談。みんな仲良いですよ」
佐伯は意外だという顔をした。
「そうなのね」
「先生、今時いじめられて死ぬなんて馬鹿ですよ」と言って畳みかけるように
「俺は絶対いじめで死んだりはしないです。そんな事で死んだって、誰も責任取っちゃくれませんからね」
と言った。責任を取ると言ったものの、純太にはその意味をハッキリと理解している訳ではなかった。しかし、純太のとっさに出た言葉であったとしても佐伯は同意をするしかなかった。だが、保健の教師らしく質問を返した。
「そうね。だけど、実際そんな目にあったら?」
「先生、ビニール袋ありますか?」
純太は話題を変えたくて思わずそう聞いた。
「あるわよ」
佐伯は理由も聞かずに机から透明なビニール袋を一枚取り出した。純太はそれを受け取り、手に握りしめていた濡れたパンツを素早く袋の中に押し込んだ。何だか、そら美のオシッコで漏れたタオルをビニール袋に押し込んだ時の感触に似ていた。佐伯はノートを閉じると、早く教室に戻るように促した。