特に最後の約10年間は、副交感神経の存在をどこかに無理やり追いやり「しっかりやらなくては!」「気を緩めてはダメ」と、ずっと神経を追い込み続ける年月を過ごした。職場では「いつ休んでるの? 大丈夫?」と言われるほど、仕事に明け暮れていた。

何かの占いでは、私は「有能な働き者」らしい。「有能な働き者」はリーダーには適さず参謀が適任らしい。ちなみに「有能ななまけもの」がリーダーに適するらしい。

保健師は縁の下の力持ち、黒子といわれるが、私自身も性格的に参謀、縁の下の力持ち、黒子が最も私の能力が発揮できるポジションであると自覚している。まさに「保健師が天職」な性格のようだ。

それなのに私の保健師人生の最後の10年間は、頼みもしないのにリーダーとして上へ上へと押し上げられ続けた。

私の保健師人生において何が一番つらかったかといえば、昇格により現場から、第一線からどんどん引き離されたことだ。

私は現場が大好きだ。本音を言えば昇格などはしたくなかった。「組織に昇格試験制度があればいいのに」とずっと思っていた。組織の中に昇格試験制度があれば、私なら最後まで試験は受けず、生涯、現役の現場の保健師として地域を駆け回っていたはずだ。

けれど私は、誰にも頼みもしないのに周囲から勝手に役職に押し上げられ、人より早くリーダーに昇進させられてしまった。実に不本意なことだった。

役職が上がる度に、私は睡眠時間を削って働いてきたように思う。そういえば係長になった頃は一日4時間くらい、課長になった頃は3時間程度、保健師の統括になった時の睡眠時間は2時間だった。

そして、退職して時間ができたから「さあ寝よう」と思っても、その2時間ですら眠ることが許されない体質になってしまっていたということだ。

私の自律神経に言わせれば、「いいかげんにしろよ」ということだろう。

「今まで散々、私たち(神経)を痛めつけ、限界を超えてもすり減らし続け休みたくても休ませてくれなかったのに、何を今更、自分に都合の良いことを言っているのか」ということなのだろう。

ここまで自律神経を追い込んだ結果、自分自身が作ってしまった眠れぬ神経を蘇らせるには、取って付けたような通り一遍の方法では到底無理なような気がする。じっくりと時間を掛けた計画的な蘇り方法の実践が必要な気がするが、一体、どんなことをやってゆけば良いのだろうか。

「寝れなんだら寝るな」というマインドは、それで良い。あとは、とにかく、眠れぬ夜の改善に向けた「リハビリ計画」を立てて実践するしかない。つまりは生活の仕方を改善するという行動変容をするしかない。自分の生き方において10年間も掛かって積み上げてきた「ツケ」なのだから、ゆっくり相応の時間を掛けてリハビリしていくしかないのだ。そう考えた。

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