自分の父は大正生まれ、戦争から生き残って帰ってきた生人であった。たくさんの若い生人たちが帰ってこられなかった。昔の厳しい生人であったが、苦しいとか悲しいとかつらいとかを口にするような生人ではなかった。想像もつかないような世界に送り込まれたのであろう。そしてその現実を目の当たりにしたのであろう。

戦争の強烈な惨状は、あまり語らなかった。子供や若者に聞かせるのは酷なことであろう。そして、父自身も思い出したくもない出来事だったのだろう。個人の自由などは全くない。赤紙をもらってお国のために日の丸の小旗を振られ、バンザイバンザイと見送られ、行きたくもない戦地に送り込まれ、他国で戦ってきたのだ。

ただ、このことだけは話してくれた。戦友は撃たれ死ぬその間際、お母ちゃーんと叫ぶ生人ばかりだったという。子供をたくさん産んで育てた時代に、この世で母が一番の存在である若者ばかりだったのだ。

現代の母たちは少数の子供を産み育て、モンスター化する生人が多発しているようだ。厳格な生人であった父。今思うと、昔の生人たちはなぜあれほど精神が強かったのかが不思議である。

父も、その時代の犠牲者であった。復興は大変な努力と労力を国民に負わせたことだろうと想像する。自分は、自国の戦争を知らない時代に生まれた。その頃、何か貧しき中にも世間がとても上を向いていて、これから何か楽しい夢のような世界がやってくるような気にさせる時代だった。

自分はいい時代に生まれ育ったとは思う。小生意気ないたずら者だった。父の言うことを聞かないと、すぐに片足だけ掴まれ引きずられ、よく外に放り出されたものである。それは、今の虐待とは違うものと感じる。心の底から、こいつの性根を叩き直すというような愛があったと感じている。

あの時代、根性をさんざん叩き込まれていたような気がする。そんな言葉で生きてゆける時代でもあった。今はそんな言葉を使う生人などいない。自分は完全な無宗教者である。父が、この家は無宗教だと言ったその時からそうである。

幼い頃、ある宗教の日曜学校に行こうとした自分に父がいきなり

「どこへ行くんだ……お前は神を頼らなければ生きていけないのか! そんな人間に育てた覚えはない!」

と一喝された。なるほど、今思えば、よくわからないお経や何やらを唱えられても、自分の魂が納められる気などしない。