私たちは常に二つの選択肢の間で揺れ動いている。目標が明確でない場合、選択の自由が確保されていることが、逆説的に彼の自由を狭めているのである。だが、このように考えることは有意義であろう。
数多くの選択肢の羅列の中に、未来へとつながる何かがあるのではなく、彼が存在するそのすぐそばにあるたった一つの閃きが、彼を充実感ある明日へといざなうのであると。ここに登場する若者は、まさにそのたった一つの閃きであろう。
彼は、複雑な方程式を操る者でもなければ、また高邁な理想を語る者でもない。故に彼は、衝撃であるにもかかわらず偶然であり、また究極であるにもかかわらず中庸なのだ。
きっと私は、彼の中に普遍を見出そうとしているのであろう。だがこれは虚しいことではない。なぜならば、誰であれ明日に希望を見出そうと努める者は、諦めないが故に、そこに何らかのオリジナルの価値観を確立することが可能であるからだ。
それは、しばしば孤独を誘発するにもかかわらず、彼の理想が普遍を伴う限りにおいて、彼が体現するすべては、少なくとも彼と同じように模索を続ける者にとっては、永遠すら感じさせる善的な権威となり得るのである。