ぼくの地球
第二章 信仰 夏
万人の幸福
所有の肯定であり、共有の否定。彼には所有権が認められ、その結果、彼には一定の義務が課される。彼は、彼が所有するものの権利者であり、それに相応しい利益を得る。
彼が「ぼくのもの」と主張するものは、彼の友人ではなく恋人である。したがって然るべき手順を経て、それは彼の家族となる。だから当然の如く、「許可なく立ち入ることを禁ズ」となるわけである。彼は家族を守らなければならない。したがって、時に戦う。住み分けであるので、基本、無断越境は許されないのである。
彼は、彼のテリトリー(居場所)においては排他的に振る舞うことができる。そして、そこであれば、彼は自身の個性と真正面に向き合うことができる。カスタマイズも可能である。そしてカスタマイズ(工夫)は、幸福のための第一条件である。
また彼のテリトリーに立ち入ろうとする者は、彼の許可を得なければならない。
もし彼が不在であるならば、その者は彼に敬意を払わなければならない。敬意を示すことによってのみ、その行為は「許されたもの」と見做されることとなる。当然そこでは、匿名は厳禁である。
なぜ男は武器を手にするのか?
それは彼のものである家族を守るために、である。
なぜ女だけが子を産むのか?
それは武器を持たない女が「この子(たち)は私のものです」と言えるようにするために、である。
ここには愛が来なければならない。信仰と愛は実に密接な関係にある。なぜならば、愛を担保できるのは神だけだからだ。
愛とは何か?
それは所有である。
所有によって権利と義務が生じる。
義務は労働である。
では権利は?
排他的に振る舞えるということ。
排他的とは?
住み分けをおこなうということ。
住み分けとは?
越境の際には相手に敬意を払うということ。
ということは?
所有によってのみ確立されるものがあるということ。
それは何?