お琴のおけいこ
小学四年生になると、私は父の勧めでお琴のおけいこに通いました。
先生の家は烏山の町外れの烏山城址に程近い屋敷町でした。家から遠いので、当時は珍しい子ども用の自転車を買って貰い、それに乗って通ったのです。
その頃は今で言う「ママチャリ」はまだ無く、子どもは男乗りの自転車で三角乗りをして遊んでいました。
そんな中、私の子ども用自転車は人気がありました。お琴の休みの日には友達が順番に乗り、校庭をグルグル回って楽しんだのです。
当時の烏山小学校には大木の桜の木が数え切れない程ありました。花が散る時期の校庭は一面桜色に彩られます。敷き詰められた花びらの絨毯に乗るとフワフワでした。
その上を自転車が走ると、花びらがフワッと舞い上がります。その花吹雪を追いかけるのも楽しい遊びです。その光景は、この頃の華やかな私の生活を象徴する一枚の絵のように、ずっと色あせずに心の中にあるのです。
私は友達の自転車遊びが終わるまで、糸を通した針で花びらを一枚一枚チクチクと刺して首飾りを幾つも作るのでした。
お琴は山田流の先生です。山田流は楽譜が無かったのでしょうか、先生の語りと弾く手
を見て暗譜で覚えます。上達が早いと先生に褒められ、宇都宮市の「栃木会館」(現在の文化会館)での大きな発表会に出演しました。
父は大喜びでした。私の着物を新調し、同時に母とお琴の先生にまで着物を誂える、大盤振る舞いをしていたのです。
私はこの時演奏した『八千代獅子』よりも『六段の調べ』の方が好きでした。
『六段の調べ』の曲は、手指の運びに合わせ先生の語り口調も、今も耳の片隅に残っています。
♪チン・トン・シャン
♪シャシャコーロリン・チントン・コーロリン・シャン
♪シャッテン・シャシャテン…………
今となっては、とても懐かしいリズムです。
大人になってから、あの時お琴ではなくピアノを習っておけば、と残念に思いました。やがて私はピアノの弾けない、小学校の教員になったからです。