第2章 ぜいたく三昧な小学生の頃
危ない遊び
私はつい自分のことを「おれ」と言って笑われたり、綺麗な服を着ていたせいか「七面鳥」とはやされたりして、いつも友達の陰に隠れていました。それでも四年生になった頃は随分活発になり、友達を誘って遠くまで出かけたのです。春の暖かな日でした。
母におにぎりのお弁当を作って貰い、国鉄(現在のJR)烏山駅から一駅離れた所にある「龍門の滝」を歩いて見に行きました。滝はまだ水量が少なく、岩肌と草むらがむき出しになっていました。滝の水が流れ落ちている所から少し離れた所に、登れそうな良い足場がありました。
私が先頭に立ち登ってみると、どんどん行けそうなのです。半分まで登ったところで、さすがに怖くなりました。でも、下に降りるのは登るよりももっと怖くなり、結局二十メートルの滝を、全員無事に登り切ってしまいました。滝の上は川になっていました。川と言っても、砂利をかすめる位の浅瀬でした。そこを渡り、川の横の土手に上がりました。
今考えるととても危険な遊びでしたが、当時不安はみじんも感じていませんでした。土手の上でお弁当を食べると、今度はさらに危険なトンネルの方に向かいました。烏山線の「滝」駅の近くに、トンネルがあるのです。土手の上に立って見ると、ずっと先にトンネルの穴がポッカリ開いて見えました。それを見に行くのには、理由がありました。
担任の先生から、「トンネルには壁の所に、人が入れる位の窪みがある」と聞いていたのです。トンネルの中で線路の工事をしている人が、避難するための窪みだそうです。私はその窪みを確認したくて、トンネルの中に歩いて行きました。幼い頃父の鉱山の坑道に一人で入った時の記憶がよぎります。
しかし坑道とトンネルは大違いです。しかも汽車が来たら大変です。四メートルか五メートル進んだ所で耳を澄ましていると、中から風の音らしい不思議な音が聞こえました。その音を聞き、さすがに怖くなりそこで引き返したのです。私は家に帰ってから、滝やトンネルで遊んだ事を家族に話しませんでした。親に話すと叱られることは分かっていたからです。
私は親を困らせる子どもではありませんでしたが今思えば親の目をくぐって危険な事をしていたのでした。