お祭りの金棒曳

その年の夏の事です。現在「国指定重要無形民俗文化財」になっている、烏山の「山あげ祭」の「金棒曳」の役を私は受ける事になりました。それは現実なのか夢なのか分からない、操り人形を演じているかのような三日間でした。お祭りの大きな屋台の先頭に立って歩きます。屋台はお囃子だけでなく野外歌舞伎「常磐津」の舞台や道具を運ぶ長い行列でした。金棒曳は三人です。

その時の写真を見ると、小さなスナップの他に、私一人で撮った大きい四つ切の写真が残っています。その写真の大きさを見た時は、父の金棒曳への相当な思い入れが伝わってきました。髪を結い上げ、真っ白に白粉を塗ります。赤い紅をおちょぼ口風にさして、衣装や分厚い草履などまるで旅芸人の出で立ちです。鈴の付いた金属の棒を杖にしてシャン・シャンと音を立てて歩きます。

(山あげ祭)向かって左に立つ私の華やかなお祭りの晴れ姿は、我が家の最盛期を物語っているかのようです

(山あげ祭)向かって左に立つ私の華やかなお祭りの晴れ姿は我が家の最盛期を物語っているかのようです

お祭りの三日間は、毎日朝から夜まで烏山の町の中を歩きます。各町内に詰め所があり、その近くに舞台とその後ろに背景となる山を組み立てて、野外歌舞伎を披露して回るのです。母は私の世話で、一日中一緒に歩き回り大変でした。私は特別嬉しいでもなく楽しいでもなく、ただただ役目を果たすのに必死でしたが、今はとても懐かしい思い出です。

叶わなかった父の夢

時々父は私を連れて宇都宮に出かけました。汽車に一時間程乗って行くのです。汽車は発車する時と停車する時は大変でした。両手でどこかに掴まっていないと振り飛ばされる程、「ガッチャーン」と何かに当たったように揺れるからです。発車と停車の時はそれとなく分かるので、乗客は皆身構えていました。私は座席の肘掛にしがみついていましたが、床に転げることが度々でした。

宇都宮に行く途中にトンネルがあります。危ない遊びをしたトンネルです。トンネルを通過する時は「窓を閉めろ!」と声を掛け合います。蒸気機関車の石炭のススが窓から入り、顔がススだらけになるからです。私は前に見たかったトンネル内の窪みを探したのですが、煙で見えませんでした。

その窪みを確認できたのは、大人になり電車に乗った時でした。よく見ると、確かに窪みは間隔を置いて幾つもあったのです。それを見た時は、まるで手品の種明かしを見たような満足な気持ちでした。

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