私にとって、保健師である間は、それがベストで必要不可欠な戦法であった。
特に健康危機の有事には私が保健師として活動するには無くてはならない体内環境だったのだ。岡山への派遣時には、ちょうど更年期に差し掛かり不定愁訴も出ていた頃であった。加えて「交感神経亢進の権化」となるためのスイッチが入ってしまった結果、エネルギーをチャージするためのわずかの睡眠すらも取ることを許さない体質が出来上がってしまったのかもしれない。
7日間の派遣期間は夜12時に布団に入っても、朝6時の起床時間まで頭の中でその日に起こった出来事や被災者の方々との会話などが活き活きと思い出され、「明日は感染症が起こらないように手洗いと消毒薬の設置を避難所到着後すぐにやってしまおう」とか、「介護が常時必要な〇〇さんが福祉避難所に今日中に移れるように調整しよう」とか、活動計画を活き活きと練り続ける日が続いた。
「少しは眠らないと」と思って考えるのをやめようと思うのだが、しばらくすると、また明日のことを考えている、そんな毎日だったように思う。だから一度たりともセットしたモーニングコールが私を目覚めさせたことは無かった。そして目覚めたらフルに保健活動に没頭する、そんな毎日だった。
その時は今のように「眠れない夜」への恐怖や不安感、呼吸苦やジンジン感などは感じなかった。だが今にして思えば、その7日間は派遣活動という期間限定の特別な環境だったから眠れなかったのではなく、すでに、その頃から「眠れぬ夜」に至る「前駆症状」が出現していたのかもしれない。