10月31日(日)

ミサ

今日はミサに行こうかどうしようかと迷いました。←(悪い子です)

けれどやっぱり行った方がいいと思い、それに諸聖人の大祝日は今日かもしれないと思ったので行くことに決めました。でも私は、天神へ行くまでが大変なのでした。バスの中では人がいっぱいでとても悲しい気持ちになってきました。でもこんなことはあたりまえだと思い直し教会で祈っていると、どうしても悲しくてしかたがありませんでした。

ミサが始まる少し前にシスター渡辺とおっしゃる人が私といっしょに祈って下さいました。その時はとてもうれしくて、私はだれからも声をかけられることがないと思っていたから、それがとてもうれしかったのでした。

そしてミサが終わった後もいろいろ指導のことばと、はげましをおくって下さいました。私が聖体拝領を受けなかったのを見て、受けない時は、大罪をおかした時だけですよとシスタ―からいわれて。それまでは全然知らなかったのです。何となくする気になれなかったのでした……。これからはきちんと受けようと思いました。

昨日、母にたのんでおいた推理小説の本とシャープペンシルを母が買ってきてくれました。とてもよろこんだのですが、推理小説はちょっと大人向きなのでむつかしかったです。私もはっきり内容を説明しなかったので母をせめるわけにもいきませんし、そのうち、よみこなせるようになってからよみたいと思っています。

それから間もなく父が帰ってきて、父も買ってきてくれました。とてもうれしくて、こんなことは初めてですから、すっかり上機嫌です。父の買ってきてくれたものはまずまず私達ぐらいのものでした。とてもおもしろそうなのでさっそく読むことにしました。

※今日はバスの中でとても悲しかったので、私は自分をもっと大切にしてほしいと思ってしまいました。私があまりにもこの世の中でそまつなきたないものとしかみんなは考えてくれないからでした。でもそんな考えがとてもおそろしい考えだということはすぐにわかりました。それは考えてみると大切にされながら育った人達が、大人になって世間に立って本当に誠実にまっすぐには生きていないことがわかっているからでした。

そうすると私はこのままじっと耐えなければならないというのか! そしてこのまま生きていかなければならないというのか! とても耐えられるものではないと私は確信しました。

人間である限り、多少のうぬぼれた考えもしたいと思うだろう。それもできないのかと思うと、私は一体どうすれば自分に勝てるのか? まっすぐな清い考えを持ちつづけて、悪い人の目からのがれることができるというのか?