【前回の記事を読む】私はいつもぶつぶつと、この世に多くの不満があるような顔をしているんだ…

15才(中学3年秋~中学卒業) 1971年10月27日(水)~1972年3月16日(木)

11月4日(木)

・今日思ったこと

私は、いつも朝早く学校へ行っています。だいたい私がクラスで一番早いけれど村中さんという(性格は、おとなしく気が強い、少し短気な)人も早いです。学校にどちらかが早くつくと、まどをあけたり、何かごそごそと気になることをやりはじめるという始末。

私は初め、村中さんが早くこようと私が早くこようとおかまいなしでした。別に何も気にすることはなかったのですが。村中さんのほうは、私が早く来て、まどをあけたり、宿題の残りものをやっていると、とてもおこってしまうのです。私は全然村中さんの気持ちを考えてあげずに、村中さんがおこっていることも気がつかないという有様だったのですが、このごろそのことに気づいて、私も困っています。

私はあの人にいやな顔をされるのはいやだし、あの人だって私より早く来たいと思っているでしょう。でも私は何もあの人と競争しているのではないし、早く来るのはわけがあるからなので、決して自己満足のためではないのです。

では私は少しおそく来るべきなのでしょうか。この前一度少しおくれて来たことがあるのです。その時の村中さんのご機嫌は決して悪いものではありませんでした。私はとてもうれしかったです(村中さんの機嫌を見て)。

でもちょっといやな気持ちになりました。あの人も自分の自己を満足させるために朝早く、人よりも早く来て、みんなに見せつける。私だけではなく、クラスみんなが、その自己満足のために、苦しんでいるのか……私は考えました。

人よりも気がきいている←このことを見せつけに自己満足するということば。

やっぱりある1部の人達のなかには私という存在がとてもにくらしく思っている人もあるでしょう。私も彼らの立場を理解できます。本当に私にとって考えなければならない問題だと思います。

真に謙遜な人は早く来るところも、おそく来、人が自己満足のために行動しているならそれを考え、かつ感謝すべきことと考え直すでしょう。いつも人の後ろからながめ、もっと自分には勉強が必要であることを自覚しなければならない。

でも私にはわからないことがいくつかあります。その1つは、

・今私に必要な教えはいったい何でしょうか。

謙遜ももちろん、やはり神のみむねに従い、愛をもって人間関係の中に生きることでしょうか?