11月5日(金)

今日は朝から私一人のわがままが出てしまって又、悪い印象を与えてしまったようです。朝バスの中である一人のおじさんが私をじっと見るのです。最初はあまり気にしていませんでしたがとても気になるようになってしまいました。

でも人の顔をにくらしそうににらむので、すごく腹が立ってしまって、とうとうこっちがおこってしまうはめになったわけです。自分でも変な顔だと思っているのに人からあてつけられるととてもいやな感じがするのはあたりまえでしょう? 

それで乗りかえのバスに乗るとこんどは運転手さんがバカにしはじめました鏡の中の私ばかり見て、とてもいやな顔をし、にらむのです。時々私の顔を見てはつばきを外にはきかけるしまつです。そして何やらぶつぶつと言いだして私はもう目をどこへおいていいかわからないくらいでした。

そんな腹立しさの中で中2の人に又私があたって、印象を悪くしたのです。教室へ入っても私は自分を反省してみる心持ちにはなれませんでした。そして又村中さんや角さん達をこらしめようとノートを書き出したりする始末。どうすれば私のこんなわがままな性格を直すことができるでしょうか?

いつも自分のことより他人のことを思わなければならない私が、こんなひどい冷たいことを思っていいのでしょうか? いつもいつもそう思っているんだけど、それが実行されないですぐかくれてしまうのです。

家に帰ると又私のヒステリー、学校や外でがまんしていたすべてを家に帰るとおさえきれなくなってひどい言葉となってとびちるのです。その苦しいがまんを、家におしつけないでどこへなげすてたらいいでしょう? おしえて下さい。どこへぶつければいいでしょうか?

そして私は又自分を大切にしてほしい。どうしてみんなは私をくそかきたないものとしての軽べつ的な目でしか見てくれないのでしょうか? 私は何も他人に対して悪いことをした覚えはないし、しようとも思っていません。それなのに、特別悪いことをしたかのように目につけてはおそろしがっていて、私に見むきもしません……。

あっ、学校から帰ってくると、ドン・ボスコ社から御絵が送られてきました。私がカトリック生活からたのんで申しこんでおいたものでした。とてもすてきな御絵ばかりで、M.CS.S46.11.5と記名しておきました。(へへへ)


11月6日(土)

聖人達はいつも理想と希望を持ちつづけ、神のみむねをはたさんといっしょうけんめいでした。一生を神のために過ごして神のもとに帰った。私はとても尊敬の気持ちを忘れたくありませんでした。

私は希望さえ、理想さえありません。毎日毎日が苦しみばかりです。そしてそれにどうすれば耐えることができるか。そんなことばかり考えて生きているのです。神様のために私は何もできないのがとても残念でなりません。このごろはもう苦しみに耐えられなくなって希望もなくなりました。もう私なんかどうにでもなれ!

どうせみんなは何とも思ってはくれないだろう。そんなことまで言うようになり、自殺も考えました。生きているかぎりこの世は地ごくですから、死んでも地ごくで苦しんだってどうってことないや。学校へ行くのもいや。どこへ行くのもいやです。どうせ、どうせ、どうせの言葉ばかり後をおいかけてくるのですから楽しいことなんてちっともありゃしない。めずらしくあったとしてもすぐその苦しみによってくずれ去ってしまうのですから、同じことです。