15才(中学3年秋~中学卒業) 1971年10月27日(水)~1972年3月16日(木)
1971年10月27日(水)
体育祭でした。
私はいつもいつも、神様に感謝しなければならないと(苦しいことや悲しいことがあっても)、自分に強く言い聞かせていました。けれども時々ふと、なぜ? 祈っているのだろう。私は何のために! と自問することがとても多くなりました。そしてその答えを出すためにいっしょうけんめいなのです。神様のことをいつも考えて、そして祈っていても、急にそのような不安な問いばかりが私を苦しめるのです。
ただ祈っている……でも何のために? どうして祈らなければならないの?
そういう問いが私の頭の中をかけまわるのです。私という存在が神様とどういう関係なのか。私はただうわべだけを信じ、たよっているのではないか。
もっとよく理解する必要がある……と私は思うけれど。
シスターの教えを受けている時、シスターのおっしゃることはとてもよくわかり、自分でも、もっともだ。確かにそうだ。と思い、胸がいっぱいになるけれど、範囲をせばめ、自分自身にかえった時、その未熟さと信仰の浅さが恥ずかしくなってしまうのです。
25日(月)に、修院のレジオ・マリエ図書から、一冊の本を借りました。その本は、『一粒の麦のように』という題で、聖バルトロメア・カピタニオの生涯の本でした。私はこういう聖女達の生涯について知るのがとても楽しく、うれしいのです。
私の手本となってくださる聖人達が私達のころはどういう徳を行なって来たか。そして困難な道をどのように切りぬけていらっしゃったか、私はとても興味があるからでした。私の思っていたとおり、聖バルトロメアは、その人でした。まだ最後まで読んでませんが、自分でプログラムを立て、それを常に実行された人です。
私もなれるでしょうか、聖人に! いえ、聖人とまではいいません。そんなすばらしい人に私もみならって、できるだけ、神様のみむねに従いたい。そして聖バルトロメアの生涯だけでなく、いろんな聖人達の生涯を読み、その行動を手本として、私も神様にそむくことなく、りっぱに神様のみむねをはたすことができますように。
どうぞ神様、助けてください。いつも私とともにいて下さい。
“苦しみを愛しましょう”
神様に清い苦しみをささげましょう!