時は天文四年(西暦1535年)六月、武蔵国・岩付。
戦乱絶え止まぬこの頃の日本には、まだ多くの鴇が生息し、時折その美しい群棲を人々の前に晒していた。乱獲され、生息域を追われ、絶滅してしまうのは四百年近く後の事である。
沼や湿地が数多く広がる岩付(岩槻)は、奥大道、鎌倉街道中道の荒川(元荒川)の渡河点にあたり、交通の要衝としてしばしば争奪戦の対象となった地である。
「驚かせてしまった……」
仔犬に話しかけ、小童は立ち上がり再び歩き出した。
まだあどけなさが残るものの、整った精悍な顔立ちのその涼やかな目元は微笑み、
「お前の名を付けねばな」
と優しく言った。
仔犬は全身の毛が梅染で、腹回りと口元が花葉色になっている。仰向けに抱いた時には、胸元に三日月を思わせる毛並みが目に入った。
「三日月のようだな。三日月丸……この地は岩付故、つき丸でどうだ?」
その「つき丸」が小童の目を覗き込むかのようにした後、微かに首を傾げた。まるで「何を言っているのか?」と考えている素振りである。小童は笑いながら、つき丸の頭を撫でてやった。
「ははははは、お前は賢いな」
心地よさげに目を瞑り頭を撫でられるつき丸に影が落ちる。大きな雲に陽が隠れ薄暗くなり、ぬるい風と濃い土の匂いに雨を感じた。
「嵐が来るやもしれぬ……」
呟いた小童の名を太田源五郎と言った。
後の資正(三楽斎道誉)、かの江戸城を築城したとされる太田道灌の曾孫にあたり、まだ十四歳であった。仔犬をかかえた源五郎は、微かに頬に落ちた雨粒を感じ、薄暗くなり雲が敷き詰められようとしている空を目を細め眺めた。
その視界の端に城が見える……。