第二章
家族家族団らん
「家族団らん」とは何だろうな。と改めて考える機会を得たが、これはなかなか難しい。今私は妻と二人住まい。どちらも過去、複雑な経緯の中、再婚した。当然「団らん」からは無縁であったが、今ようやく一軒家を持ち、家族団らんが出来ている。
「団らん」という字を考えてみる。「団」とは丸い輪を囲む、ということか。卓袱台や連判状は輪になっている。さらに応援団、消防団、団結式、結成団等。いずれも多数の者が円を組んで団結している。多くの人々が必要なのかな、と思う。私たちは二人で住んでいるが、少数過ぎるのか?
そうすると少数の人々には家族団らんがなくなってしまう。これは変だ。我ら二人にはそれぞれ以前の人との間でできた子どもがいるが、成長して別家族を持っている。最近はいつも我ら二人で過ごしている。毎日朝から晩まで団らんだ。しゃべることは山ほどある。天気予報のお姉さんのこと、ニュースの男性のネクタイが曲がっているやら、髭が伸びていて不潔やら、 はげているやら。
私が世界史や日本史のことを話しても一向に話は通じず無反応。妻は私が場を外すとすぐ松田聖子や山口百恵、韓国ドラマに切り替え、エンターテインメント番組に饗応している。そもそもまったく趣味趣向が違う二人が、どうやら周りからは「とても睦まじい」と映るようだ。仲良きことは美しきかな、つまり団らんなのだろう。
喧嘩をしても私がおもしろい顔をしたり、猿のぬいぐるみを抱っこすると、妻はキャアキャアと笑い、先ほどの喧嘩は何だったのだろうと思う。最近は旅行も増え、小豆島には三度行き、海外へは二度行った。結婚して九年だから、いつも旅行に出ているのだ。
旅行といえばこれが高じて島へ移住する計画もある。小豆島、白石島、八丈島、長崎の島、壱岐対馬、隠岐島等。まだ結論は出ていないが、あれこれ語り合うのが楽しいのだ。地図帳はいつも手元にあって島の位置を確認し合っている。
本土もいい。小学校の修学旅行で行った京都、奈良、特に奈良は岐阜からは結構遠く、高速でも数時間かかる。ただ私一人ではよく行くところだ。山之辺の道、二上山、春日大社、 奈良公園、法隆寺等。良かったなあ。そんな話を時々妻に語っている。
最近、朝三時から四時頃NHKで川上ミネさんの奈良の四季を背景にしたピアノ演奏が結構気に入っている。綺麗なピアニストが表情たっぷりに弾く姿は魅了させられる。携帯の待ち受けにミネさんの写真を撮ったら、妻は黙ってスヌーピーやら何か子供じみた待ち受けに変更してしまう。また喧嘩だ。こうして毎日が過ぎていく。