第四章 秘密の恋
大切な人の思い出
私は銀行員であったが、六十二歳の時今後の人生の選択を考え、以前から夢見ていた塾の講師となった。そこは全国でも有名な塾で、教室開設の折りに応募し、試験の結果採用された。初めて見る生徒たちの怪訝そうな目を今でも忘れられない。六十二歳の新人社員だ。それでも勇気を出して挨拶し何とかうまくことは運んだ。
一対一の授業形態だ。中学生中心であったが、小学生や高校生も要求ある科目はすべて対応しなければならない。相手はそれ以上に苦手なのだ。先生はほとんど大学生で、私のようにお爺さんはいない。その中でひときわ光る生徒と横着く、やかましい生徒が一人ずつ。さらに番外編で一人。
まず番外編からだ。中学三年生の女子と私は特に気があった。英語は抜群で英会話もなかなか良い。ただ数字がだめということで数学中心の授業だった。日が過ぎると私は少しずつ女性を感ずるようになった。良くない良くない。だが感情は何ともできない。勉強を見ることもさることながら、その子をじっと見るようになった。
それから三年が経った今、彼女は進学校から大学受験を迎える年となった。目標校はどこだろうと。この気持ち、「本当は恋人になりたかったよ」との本音。
次の男子生徒も印象深い。勉強が出来るのにわざと合格しやすい公立の商業高校を受けた。勿論トップクラスで合格だ。行く行くは公認会計士になりたいと常に語っていた。
それから三年。夢を追いかけ、簿記二級を合格したとの風の便り。私の家の近くにある高校なのでまれに会うことがあった。「先生、元気そうだね」との声は何ともうれしい。「先生の家の前を通っているよ」とのことだった。彼にはいつも言っていた。夢をとにかく追うこと。そして私の今の本音は「たとえ試験に失敗してもいい。道はいつまでも続くのだから」と。
次は同じ商業高校に進学した横着い子。彼は勉強が苦手でスポーツ推薦で進学した。ただ受験時は推薦のために一定の学力が要求され、「先生、どうしよう。入れるかな」と呟いていた。私は「よし、ヤマをかけよう。数学の配点は大きいから得点源だ。図形の合同と相似だけやろう」ということで短期集中の指導をした。
結果は当たり、目出度く合格した。出身中学の先生方は、この成績で合格するのは前代未聞ということであった。彼にも上の大学を目指すか、働くか、それはどちらでもいいと思っている。彼には男だから頑張れと言っておいたが、それはさておいて本音は、勝ち負けは時の運、何が成功か失敗かはわからない世の中であるから、人に迷惑をかけず、納税をしっかりとする大人になってほしいというのだ。
以上私のにわか先生としての思いを述べた。本音と言動は別の位置にあるのだ。彼らが年を重ねた時、私の意味合いが理解できるだろう。ただし女子生徒には本音は知られたくないが……。