第六章 未来へ
希望
来年六十五歳になる。
古えにおいては過去の人とか終わった人とか言われるが、昨今はそうでもない。私もコロナの終焉を待ち構え、自分の趣味から高じた夢の実現をはかりたい。
そう、それは「希望」。集約されていった。
離島に妻と住む。これまで三十代から壱岐、隠岐、長崎の島、淡路、白石島、佐渡島、篠島、日間賀島、奄美、種子島、屋久島などを訪れたが、とりわけ最近は小豆島にはまっている。三度目だ。
何がそんなにとは思うが、田舎で都市のにおいが、静かな海、漆黒の夜の姿は私を虜にする。人情豊かだ。趣味ながら小説を書いたりピアノを弾いたり、短歌、俳句を詠むのはとりわけ楽しい。特に真夜中に。古酒を一杯やりながら吟ずる詩歌はノートにも溜めおき、何か形を、と思っている。エッセイ、小説の断片を書き始めた。移住をしてからの楽しみだ。
繰り返すが小豆島には驚きが多々ある。何しろ生活に不便がなさそうということだ。私の住む岐阜市からは適当な距離にあり、一泊二日でも可能。しかしこれでは観光旅行になってしまう。やはり住んでみないと。
島の方々は大変親切だった。先日、尾崎放哉のお墓に参拝した折、傍の年配者の方が語ってくれた。西光寺や小豆島の地下水の話をしてくれた。いずれも旅行の本では軽くしか書かれていない。こういった人情の味は島の随所で感じた。
不動産を探したときの対応、町役場の方、コンビニのお姉さん、島の居酒屋さん、土庄港の居酒屋さんではもう顔を覚えられた。泊まるところはほぼ一ヶ所である。ここでも楽しい思い出ができた。妻共々喜び合い、帰りの車中では話題が弾んだ。
コロナだけは余計であるが、これさえなければ今はマスクで半分しか見えない島の方々の顔がわかり、心が更に開け合えることもあろう。この地で趣味の合唱団があるならば参加したいし、なければ立ち上げもして楽しみを深めてみたい。釣りもゆっくりと腰をすえて楽しみたい。行先は居酒屋やその他喫茶店などで過ごせられたら、と思っている。幸い、妻も社交的であり、二人でやればなんとかなると希望が沸く。