第1章 小さな政府と[民活] ――民事訴訟を促して社会問題を解決
<事例>「人命と利益を天秤に」で巨額賠償――「フォード・ピント・ガソリンタンク訴訟」
現実に起きた700件の事故を「統計的に取るに足らない」としたマクドナルド社の姿勢は陪審員の激しい怒りを買いました。実はこの事件の20年前に、全く同じように「人間を数値として扱った」ことで、高額な「懲罰的損害賠償」を課せられた訴訟があります。「フォード・ピント・ガソリンタンク訴訟」です。
1960年代後半、ドイツのフォルクスワーゲンはじめトヨタ、ニッサンなどの輸入小型車に押されていた米国のフォード社は、巻き返しのためサブコンパクトカーの開発に乗り出しました。開発期間を大幅に短縮して、1971年、2000ドル(26万円)以下という破格の値段で売り出されたのがピントでした。
ねらいどおり人気車となりますが、追突事故で強引な開発の実態が明らかになっていきます。1972年5月28日、カリフォルニアの高速道路を走っていたピントは突然エンストを起こし、道路の中央で停まってしまいました。後続していた車は避けられず約50キロの速度で追突、その瞬間、ピントは炎上し車内は炎に包まれます。
後部に配置されていたガソリンタンクが追突で押し出されて穴が開いたため、車内にガソリンが吹き出し引火したのです。
運転していたリリー・グレイ(Lilly Gray)さんは火傷により数日後に死亡し、同乗していた当時13歳のリチャード・グリムショー(Richard Grimshaw)さんは一命はとりとめたものの身体の90%にやけどを負い、その後10年にわたって皮膚移植をはじめ60回以上の手術を繰り返さなければなりませんでした。
事故から5年後の1977年夏、被害者のグリムショーさんとグレイさんの遺族が訴訟を起こします。相手は追突した運転手ではありませんでした。ピントに欠陥があるとしてフォード社に製造物責任(PL)を求める裁判を起こしたのです。裁判では、フォード社の元エンジニアらの証言によりピント開発の経過が明らかになっていきます。