第一部酒編
武蔵野
江戸の美味いものを題材にして、当時の人々の暮らしと生き様を鮮やかに蘇らせるエッセイ『大江戸美味草紙』(杉浦日向子著 新潮文庫)に、この「武蔵野」が出てまいります。その「酔い覚めて」の章で、江戸人はどのくらい酒を飲んだかを杉浦さんは文献を徹底的に調べて、当時の酒量をこう計算しています。
上方から入ってくる上質な清酒(下り酒)について、
「一樽三斗六升入の下り酒を、江戸だけで年間百万樽、呑み干している。当時人口百万人として、老若男女ひっくるめてだから、その半数が下戸としても、一人一年七斗二升、一月六升。休肝日なしに毎日吞んでも二合」は飲んでいると。「関東の地酒は年間十五、十六万樽ほど江戸に入る。その他、焼酎が三万樽消費される。まさに酒びたしの街だ」。
「江戸ッ子が、どこの土地より、おっちょこちょいで喧嘩ッ早いのは、いつでもほろ酔いかげんだったからではないか」とまで言わしめています。
武蔵野は 月の入るべき 山もなし草より出でて 草にこそ入れ
かつて逢坂の関より東に足を踏み入れたことがないといわれた平安の都人にとって、武蔵の国はへき地もへき地、人の住むところと考えられていなかった。見渡す限りの原野。すなわち、野見尽くせぬ地。呑み尽くせぬ……。そこで呑み尽くせぬほどなみなみと酒の入る大盃のことを「武蔵野」というと。
この「武蔵野」を使った大酒飲み大会の記録が残っているのだとか。文化十四年(一八一七年)三月二十三日、両国柳橋の料亭「万八桜」で行われたのだそうです。その記録たるや俄かには信じられないほどの大記録。大量飲酒について、その酒量を定めたWHO(世界保健機関)の担当職員なら、まず卒倒すること間違いなしと思われます。
御年六十八歳の堺屋忠蔵さんは、三升入る「武蔵野」で三杯(九升)飲んだとか。かたや三十歳とお若い鯉屋利兵衛さん、こちらはなんと六杯半(一斗九升五合)というから驚きます。さすがに酔いつぶれてしまったそうですが、この話には続きがあって、利兵衛さんは目覚めてから茶碗に水を十七杯飲んだということです。
……よく目が覚めたものだと感心しますね。酔い覚めの ぞっとするとき 世に帰りあの世から急転直下生還したような気持ち、したたかに酔いつぶれ、目覚めたときの酒飲みの心中を押し量った川柳、見事ですね。水を十七杯飲んだという利兵衛さん、閻魔大王に酒臭いと言われ、この世に舞い戻れたのでしょうか?