第一章 伊都国と日向神話
6.伊都国から出土した三種の神器
これにも、もう驚きはしない。2016年3月5日に、千葉県芝山町のはにわ博物館で、多くのユダヤ人型埴輪を見てから今日まで、古代史に関しては、すでに多くを学んできた。
ユダヤ系秦氏が古代日本に活躍していたことを確信できるようになっているので、彼らの神ヤハウェがそれらユダヤ系の人々の胸に飾られていても、信仰とはそのようなものであると思っている。そしてユダヤ系秦氏は、古代ヤマトでは指導的立場の人々になって、『記紀』の世界をリードし、魏志倭人伝にも勇姿を残しているのである。
「ヨッド」(’)で思い出すのは、前著の中でその扱いに困っていた問題である。事代主が祀られる美保神社の、三つのご神紋のことである。すなわち、1.二重亀甲紋+「三」、2.二重亀甲紋+三つ巴、3.二重亀甲紋+渦雲である。当時の解釈は多少の苦し紛れもあって、「三」=景教の三位一体、「三つ巴」=宗像三女神、渦雲=不明(「エゼキエル書」の「雲」?)とした。
しかし「ヨッド」(’)が「ヤー」であり、神の御名を表すとすれば、2.の三つ巴は、神を象(かたど)る勾玉が三つ連なった形ではないであろうか。つまりそれは、「三位一体」をも意味していることになる。そして3.の渦雲は、『旧約聖書』の出エジプト記などでユダヤの民を先導する「雲」である、と推測できる。
前著(『魏志倭人伝の中のユダヤ出雲大社に隠された「ダビデの星」』)ではおっかなびっくりでそれを、「エゼキエル書」冒頭の「雲」ではないかと思ったのであるが、もう確信に近くなっている。同書では、その雲の構造などの詳細な記録がある。
最初に、神が「雲」から、モーセに語られた部分。(「出エジプト記」20章21〜24)
そこで、民は遠く離れて立たったが、モーセは神がおられる濃い雲に近づいて行った。主はモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々にこう言いいなさい。『あなたがたは、わたしが天からあなたがたと語るのを見みた。あなたがたはわたしと並べて、何をも造ってはならない。銀の神々も、金の神々も、あなたがたのために、造ってはならない。あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭(はんさい)、酬恩祭(しゅうおんさい)、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。(以下略)』。
続いて、「エゼキエル書」の最初。第一章から「雲」が来る様子と、その雲の構造を述べた部分を抜き出す。
わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。(1章4)
そして四つの生きものの形がその中から出てきた。
わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに、一つずつの輪である。もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。四つの輪には輪縁(わぶち)と輻(や)とがあり、その輪縁(わぶち)の周囲は目をもって満たされていた。(1章15〜18)
その上、神とエゼキエルは、交信もするのである。第二章の初めの部分である。
彼はわたしに言われた、「人の子よ、立ちあがれ、わたしはあなたに語ろう」。そして彼がわたしに語られた時、霊がわたしのうちに入り、わたしを立ちあがらせた。(以下略)
要点だけ引用したが、以上が、エゼキエルが見た「神のまぼろし」の実見記録である。