夢の記憶

私の入院は、リハビリも入れて二か月にわたった。ここでゆっくり、今までの人生を振り返り反省することもできた。

私は五か月前に保護観察が解けて、就労支援を受けていた。引き取ってくれる会社も決まって、今度も便利屋なのだが、もう詐欺はやらない。心に誓っていた。

刑務所に、まるで家族のように通ってくれて、「坂本くんの更生を手伝いたい。キミは必ず真っ当な人間になれる」と言ってくれた国選弁護人さんと、出所後面倒をみてくれている保護観察官の気持ちに報いたい。

それに裁判のとき、私の量刑の軽減を望む嘆願書として、警察に届いた手紙が何回も読まれた。どう思うかと聞かれたけど、最初は感謝より驚きがなによりまさるというのが正直な気持ちだった。

もう人を裏切りたくない。

裁判が結審したとき、ずっと昔に縁が切れたと思っていた父と叔父が裁判所に傍聴に来た。その後、面会に来てくれて、叔父は私が路頭に迷って電話をかけたことを、奥さんからかなりあとになって聞いたという。ニュースでほかの容疑者とともに、手錠をかけられ連行されていくさまを見て、強烈な後悔を感じたと私に詫びた。

父はひとこと、「出所したら、釣りにでも行こうや」と言った。この父のひとことが、私のなかで途轍もない意味を持つ言葉になったのだ。

まだ物心つく前の三歳前後、海水浴の帰りに寝てしまった私を、背負ってくれたあの背中は、父だったのか。何度も何度もくりかえし、夢で見た光景だった。でも、はっきりとした記憶ではなかったので、自分のなかで夢なんだと思い込んでいた。あれが現実の思い出なら、私にもちゃんと家族に愛された記憶があるじゃないか。

出所してから父に手紙で尋ねたら、まだ私が小さかった頃、海に行ったことが一度だけあると、返事がきた。面会のときには我慢していた涙が、とめどなく流れた。

もちろん、これからも嫌なことはあるだろう。でも、これからは行政にも民間の機関にも、相談に行ける自分になりたい。私は三十五歳だ。まだ三十五、もう三十五、どちらかわからないが、生まれて初めて人の気持ちに報いたいと思った。

もしも許されるならば、木村のおばあちゃんの介護を手伝わせてほしいと思った。ご家族が大変お怒りなので、叶わないかもしれないが。生き直そう、ちゃんとでなくてもいい。誰か一人でも、私の存在で笑顔になってくれたらいい。