“新鉢(または新開とも書く)”とは、初ものを意味する言葉で生娘や新しい擂鉢のこと、好きものの男たちにとっては数多くの新鉢を割る行為は一つの自慢の種であった。
未通女の女陰というものは陰核が十分に発達していなく、包皮の中に埋もれていて内側まで閉じ合わさっている。それを男根で押し分けねばならないので女陰は少し痛みを覚えるかもしれない。
『嫁閨中心得』には、初めの痛みは「ちりけ(背中の首の処)一つ据へるよりは心易」と述べ、つまり首筋へ灸を据えるよりは我慢ができる程度と教えている。
男は両手にグッと力を入れて、太腿を開けようとしたが、女の力も馬鹿にならない。仕方がないので、しばらく息抜きのつもりで真ん中の突起を擦ってみた。それは小豆粒のようで確かに男の経験はなさそうである。
“新開たびたび交合すれば、サネ伸び別る也”で、未通女のそれは、陰核が包皮に包まれており、逆に男を何度も経験した女というものは、陰核はもっと前に突き出し膨らんでいるものだ。指にベットリ唾を塗り、軽く柔らかくヌルリヌルリと揉んでやり、花門に手をやると、もう引水が沸いている。
男は、しめたものだと膝頭に力を入れて女の股を広げながら、ゆるゆると片手で弄び、抱きしめて耳に口をよせ、
「ほうら、もうこんなになって……恥ずかしがることはないでしょう、ねえ、もっと股をお開けなさいよ」
「…………」
「政子どの、あんまり世話をやかせるものでないよ、ほら、政子の花筒からこんなに引水が出ているではありませんか、気持ちよくなってきたのでしょう……」
女は首を振ってイヤイヤをするが、それは本心からではないようだ。
昨晩学んだ枕草子には“乙女たるもの、初夜の床入りの場では、相方の行為を受けてすぐさま歓びを表してはいけない、いきなり女性が男性の上に馬乗りになっては大悶着を起こす恐れもあって相方から疑いの目を向けられてしまう。初めは恥じらいの表情を浮かべ、軽くイヤイヤして拒否の態度を現わすのが肝心、しかしあまりその度が過ぎて嫌われないような注意もまた肝心”と。