花と木沓
八月八日
食後の祈りのさい中、窓の外を、神父様の南京豆型の頭がぴょこんぴょこんとはねて過ぎ、次は石っころみたいな牧夫さんのイガクリ頭と、デッカイ木き槌づちがデデッデデッと重く行進して行きました。頭は二つとも、大まじめに前向きにゆれていましたし、それに、あのデッカイ木槌…!
私の心は牛舎に走り込んで、牛達の顔を気ぜわしく見渡します。そして、彼等をワタシノムスメと呼ぶ老いたドイツ人のエフレム様のことも ―― いつか嵐の夜、お産をする牛が心静かに産めるようにと。この方の奏でる笛の調べが、はるか牛舎の方からほそぼそと、とぎれ勝ちに一晩中聞えた事があります ―― 。
“牛の祝福”、それは年に何度か、例の白樺林で雄牛のために小さなミサを行い、神父様が、牛のおでこに聖水をちょんとつけて祝福をあたえます。と、同時に
「アーメン…ゴオン!」
「アーメン」はみんなの祈り、「ゴオン!」は牛のおでこに落ちた木槌のひびきです。こうして私達や、他の院の修道僧達のハムやソーセージが出来るのです。
かけつけてみると何と云う事でしょう みんなの宝物のバンビノが 白黒の肌もあざやかにそこにいたのです。
エフレム様は、いらっしゃいませんでした。けれど、バンビノのひたいに美しくかざられた野花の冠を編んだのは誰でしょうか。バンビノは、彼の名付け親である神父様の胸に頬をあてて幸せそうでありました。
バンビノの名は、きっとイタリア人のゴッツィ神父様が授けたのでしょう。それは「ちびちゃん」という意味だけれど、名前のとおり甘ったれのかわいい牛でした。それが、ぐんぐん育って山のように大きくなったのです。あの時は、とても辛かった……星たちよ 集まって バンビノを たたえよ