「シネマスコープ」という超大画面の西部劇には圧倒された。「ララミーから来た男」というシネマスコープが当時評判だった。映画の中の英語はほとんど分からず、字幕を読んでしまうのだが、時に一言二言キャッチできるとうれしかった。

たとえば、ジェームズ・スチュアートだったか、「アイハード・アララアバウチュー」(I′ve heard a lot about you.)と言ったように聞こえて、字幕に「噂はいろいろ聞いていたよ」というような訳文を見た時はうれしくなったものである。

だが、映画の英語は難しい。田舎の高卒で、しかも3年間も陸上部で短距離走や時に駅伝に駆り出されて疲れ果てて帰宅し、居眠り半分で文法書をかじったぐらいで、アメリカ映画の会話がおいそれと分かるはずはなかったのだ。それでも、ナマの英語に触れるのは楽しかった。勉強はしたかったが、その時間が取れなかった。

夕食後は店の仕事がほとんどなく、工場の職人のお手伝いをした。夜9時過ぎに仕事が終わると朝と同様、工場の掃除をして1日が終わる。工場の2階の4畳半に同居している見習い職工と連れ立って近くの銭湯へ行く。風呂上がりにはアメ横通りのたたき売りなどを見物したりしてから、帰宅すると10時か11時。新聞の夕刊を見ていると、

「もう寝ようや、明日も早いから」

と同室の職工に催促されるので、まともに新聞も読めない生活であった。1年もすると、同窓生の何人かの便りや噂が聞こえてきた。誰それは早稲田に合格とか、彼は慶応だ、あるいは明治に合格とか、誰それは東大に落ちて浪人だとか、同じく下町の工員になった友人や文通の同窓生がいろいろな情報を伝えてきた。

それらを聞くと自分も親に無理言ってでも、浪人して大学受験をすればよかったなあ、とため息をついたが、すぐには現状から脱出する勇気もなかった。

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