はじめに
これはイソップ物語のようなウサギとカメの競走物語ではない。あのイソップ物語では途中で油断して昼寝したウサギよりも、のろのろ歩き続けたカメが結局先にゴールに到着した。つまりコツコツと努力を続ける者が勝つという教訓だが、ここで言うカメは「コツコツと」努力してもどうにもならなかった足の遅いカメのような私自身である。
そのカメ人間が英語という道を歩き続けた軌跡を、思いつくまま断片的に書き留めてみたのが「わが英語道」とでも言うべきこの回想録である。
今「私はコツコツと努力した」かのように書いたが、私の努力はよく考えてみると細切れで、断続的で本当の努力ではなかったのだ、と今は思う。ただ確かに言えることは、私はウサギのように速い足(才能)を持っていないということである。
その才能を持たない凡人が英語という外国の言葉をうまく使えるようになりたいと願い、長い、長い道のりを歩んできた、そうさせたモチベーションは何だったのだろう。ほかにこれといった特技とか才能がなかったので、英語にしがみついたとしか考えられない。
また、重要なことだが、お金もなかったし、運もなかったので、外国留学など到底できなかった。結局はイソップのカメはゴールに達したようだが、私は歩いただけでゴールには到着しなかった、つまり英語をモノにできなかったのだが、その反省記をいま書こうとしているのだ。この反省記がこれから英語を習得しようとしている若い人たちに何らかの「反面教師」として参考になれば幸いである。
まずは、私の歩いた軌跡は後回しにして、一冊の本との出会いについて記しておこう。
その本とは吉田健一注1著『英語上達法』(垂水書房、1957年)というものである。その冒頭の書き出しが実に面白いので引用させていただく。
いわく「英語というのは絶対に覚えられないものなのであるから、そういうことは初めから諦めた方がいい。仮に、英語が読めたり、話せたりする人間がいたら、それは英語を知らないからそういうことが出来るのである」
さらに引用させてもらうと、
「このことは日本の英語の先生達が真先に承認してくれるに違いない。英語の本が読みたければ大概のものは翻訳されているし、英語が喋りたければ、通訳というものがある。無理する必要はない」と皮肉たっぷりである。
この言説を真剣に受けとめて、私は英語の習得など早い時点で諦めるべきだったかもしれない。諦めるどころか、ますます英語というものに魅せられて、その世界に踏み込んでいこうとしたのだからまさに怖いもの知らずであった。
注1)吉田健一:文芸評論家、英文学翻訳家、小説家。父は戦後の宰相・吉田茂。