きずな
ラミーヤの駆けぬけた夏
来旭前の準備に大わらわ二〇一九年八月、国際医学生連盟留学生のラミーヤさん(以後は親しみをこめてラミーヤと呼びます)を小児外科で受け入れました。彼女はボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ大学医学部六年生です。
過去にはウィーン大学からフィリップ君(以下フィリップ)を受け入れたことがあります。今、彼は卒業し小児外科医としてバリバリ活躍中です。
フィリップの時は二人だった小児外科スタッフも現在では四人となり、受け入れ態勢は万全のはずでした。ところが、ところが……。ラミーヤが来旭する一週間前になり、彼女がムスリム(イスラム教徒)であることが判明したのです。ホストの女子学生Uさんも我々も大パニックとなりました。
お祈りは? 食事は? 飲み物は? かぶり物は? そもそも言葉は? ……など、解らないことばかりだったのです。みんなで情報の収集、そして準備が始まりました。
「日本ではサラダを中心に食べます」
との情報が伝わってはきましたが、まず、ハラール認証(食品物がイスラム教の戒律を満たしていることを認定するもの)を受けた基本食品を用意しました。ブルネイ産ミネラルウォーターをはじめ、国産でもハラール認証を受けている醤油、酢、味噌、ドレッシング、マヨネーズなど、インターネットを使い二~三日で取り寄せることができました。とりあえずこれだけあれば大学ではコンビニサラダや豆腐を、ホストの家でもスーパーの食品や日本食を食べていけるかと考えました。
情報収集過程で旭川の駅と空港にイスラム教徒用のお祈りの部屋があることも確認し、さらに旭川にはムスリムフレンドリー・レストランマップなるものがあることも判明しました。なんと、ラーメン、寿司、餃子、ジンギスカン、スイーツまでムスリム対応のお店があるのでした。
さらに、ふと気がついたのは、彼女の国のことを何も知らないことです。自分でいくつかの資料を用意しました。まずはビデオ『サラエボ、希望の街角』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』。次には本『ボスニア物語』『ぼくたちは戦場で育った』(3)、また家内の蔵書にあった『オシムの言葉』そして絵本が二冊『平和の種をまく』『地雷ではなく花をください』。
なんということでしょう、ボスニア・ヘルツェゴビナは二十年前まで戦争があり、彼女は戦争中に生まれた子どもなのです。ボスニア・ヘルツェゴビナはヨーロッパ最貧国と言われ、人口は三百五十万と北海道より少なく大学医学部はもちろん一か所しかありません。彼女はボスニア人ムスリムの希望の星なのだと知りました。
次に身の回りの準備です。医局に彼女の机とロッカーを用意し、フィリップの時にとても役に立ったクリップメモパッド(外科では絵に描いて説明することも多いのです)も机の上に置き、名刺も用意し……と、ここでも彼女のファミリーネームのアルファベットĆの読み方が解らないことに気がつきました!
彼女の自習用に最新の英語の小児外科教科書二巻もド~ンと机の上に置きました。彼女の四週間のスケジュール表も作り、白衣やスクラブ(ゴシゴシあらえるVネックの手術着風着色衣)は医局女性医師の洗濯済みのものを用意しました。ふう~~!