【前回の記事を読む】ロシアで写真を撮っていると…「カメラを取り上げられそうに」

Ⅰ ヨーロッパ

(三) ロンドンヘ

国際建築学生会議は1週間続いたが、その間の寝食は用意されていたから、のんびりした滞在であった(参加費用なるものを東京で払ったのかしら)。

会議の初日、我々は参加オファーをたずさえて会場に行ったのだが、そこで私はチョット戸惑いを感じた。実は会議は学生会議とはいえ一応国際会議となっているのだからと考えて、我々は上下の背広にネクタイ姿で出かけたのだが、多くの参加者は普段着だったし、Tシャツとサンダル姿も少なくなかった。勿論ちゃんとした背広姿もいたことはいたが、どうみても我々は東洋からのオノボリサン感は拭えなかった。当時日本では

「TPOをわきまえろ(時と場所をわきまえろ)」

などとさかんにいわれていたのだが、それがずれていたのだ。今調べるとTPOなるもの自体が和製英語なのだった。私は出発前にデパートでわざわざ黒の上下を買ったというのに。それには少し、屈辱感を味わされた。それは私個人というより、日本が井の中の蛙として世界知らずなのだという屈辱感は拭えなかった。私はどちらかというと自分は個人主義的人間であると思っていたので、私もさることながら、日本人の誇りが傷つけられたという感覚に自分がとらわれて、チョット驚き戸惑ったのだ。それでも、会議はいでたちなど頓着しない若者の集まりであったから、我々も直ぐ皆の中に溶け込むことができた。

そこで判ったのだが、どうやら日本からの参加者は我々3人だけのようであった。プログラムを見ると今回のメインテーマは建築教育についてであった。そのテーマで様々な分科会が設定されていて、各自がそれに自由参加するというものだった。我々は別に日本代表としてこの会議が目的で来たわけではなく、別の目的地への途上の寄り道で参加したので、なんら準備をしてきたわけではなかった。それに我々の語学力ではその討論にとても応えられるものではなかったので、分科会は失礼して、他の行事、講演や企画展示、またサイトシーイングなどに参加することとなった。

それに食事の折や、自由時間の談笑の中では、様々な国の同世代の建築学生仲間としての交流があり、我々にとっては新鮮で刺激的な経験であった。そういう多くの仲間が、あまり情報もない日本の建築事情に興味があるようで、そんな時には、携えてきた東京オリンピック施設の資料などを見せたりした。何といっても丹下健三氏の国立代々木競技場が皆の興味の中心であった。

会議の中頃だろうか、夏至祭というので参加者全員で無人島に渡って、白夜の空の下で夜通し騒いで酒を飲み明かした。会議で知り合ったイギリスからの2人の学生には、後に日本で再会することになった。私にとってこの会議の経験は、気持ちを切り変える転機となった。