日本で想像していた異国の地での異国の人との交わりには、未知ゆえの気負いがあったのだろうと思う。私はこれからは万事、日本にいる時と変わらぬ普段着の自然体でいこうと心に決めた。私個人としての感情や考えを、すなおに表現していこうと思った。私を通じて日本を見ようとするかどうか、またそれをどう感じるか、それは私の問題ではなく相手の問題だ、と考えることにしたのだ。ただ、自分を日本人というカテゴリーの中でのみで見られるのではなく、鈴木喬なる個人として関心が持たれるように振る舞えるかどうかは、自分自身の問題だと思った。
会議の後、列車でマルメに出て、そこからコペンハーゲン行きの船に乗った。この船はまったく、ランボーの詩題ではないが「酔いどれ船」であった。スウェーデンは酒類が高かったから、この国のアル中連中はこの航路を利用して船上で免税の酒を飲み、デンマークに到着するとそこで免税の酒を仕入れ、とんぼ返りの船の上でまたしこたま酒を飲むという、正に『酔いどれ船』であったのだ。
我々3人も酒は嫌いではないが、とても彼らと一緒に飲む気にはならなかった。コペンハーゲンで1泊したのだろうか。3人で市内観光して、港にあるアンデルセンゆかりのマーメイド像にガックリした記憶がある。熱海の貫一・お宮像といいとこ勝負だ。
チボリ公園にも行ってみた。世界有数のテーマパークということだったが、大きな後楽園ゆうえんちという以外特別の印象はなかった。実は私は映画『第三の男』に出てくる大観覧車が、てっきりこのチボリ公園のものと勘違いして出かけたのだが、考えてみれば映画はウィーンでの話だったのだ。
我々3人はここで別れることになった。岡部はここが目的地であったが、寺沢は列車でチューリッヒに向かい、私は飛行機でロンドンを目指した。実は私の親は、私に帰りの飛行機代を工面してくれていたので、私は安いオープンチケットを東京で手に入れて持参していた。その中にロンドンヘのルートも含まれていたのだ。
6月の末、私はヒースロー空港に降り立った。そこからバスで市内に入ると、写真で見覚えがあるいくつかの光景が目に飛び込んできた。ウエストミンスター寺院と思われる前を通ったが、それが私が目にした初めてのゴシック風建築であった。