第2章 ナイスデイへの歩み
TC的共同体こそ日本のまほろば
まほろばとは、理想郷や楽園という意味の古語です。歴史を振り返ってみると、他国と比較して、日本人は縄文時代から続く長い歴史を考えても、比較的戦いの少ない平和的な国民だと思います。
大虐殺の話も他国と較べれば、非常に少ないです。狭い国土の中で互いに助け合ってつつましく生きてきたのではないでしょうか。助け合うことに喜びを感じるのは人間として当たり前のことだと思われますが、日本人には特に当てはまるのではないでしょうか。ナイスデイの盛り上がりは、日本人のあるべき姿を示しているのではないでしょうか。
改めてナイスデイを見てみると、日本人は欧米人と違って、個人というものがあまでは逆で、国、県があって最後に自分の所があるという意識です。従ってコミュニティの一員になって救われる気持ちは欧米より、日本のほうが強いのではないでしょうか。しかし、本来持っているはずの、この良い意味での集団意識は今やズタズタに壊されています。
我々の置かれている環境を考えてみると、日本は険しい山に囲まれた狭い国土にぎっしりと人が住んでいます。こういう環境ではどうしても競争が激しくなってしまいます。幼稚園から受験競争が始まり、卒業後も就職活動まで、まるでバスに乗るように集団で行われるので、乗り遅れないように必死に生きることを強要されています。
入社後も何年入社組等と競争させられる不思議で奇妙な社会です。このため常に人との差を意識させられることになります。当然勝ち組は負け組をさげすみ、負け組は勝ち組に嫉妬心を持ち自尊心をなくし、自己卑下的になりがちです。こうしてみると個としての人格の確立がないままに、自尊心が育っていない日本人の中で、個人はバラバラになり、孤立していくようになっています。
こういう社会の中に生き、競争しながら、高齢者となり、病気になり、要介護者になってしまうと、勝ち組といわれる人も負け組といわれる人も先の展望がなくなるので、どん底に突き落とされたような感じになります。今は介護制度が充実していますが、残念ながら心理的な苦悩を救う制度にはなっていません。物質的な援助が、やっと整ったと言える段階です。
これからはどのように生きがいを持って、前向きに生きるようになってもらうかの問題解決が真に求められています。