改めてナイスデイを見てみると
このようにTCの考え方からナイスデイの変化を纏めてみたものの、TCとナイスデイはやはり違うところもあるのではないかと、似ているがその本質は違っていると考えるようになりました。
40代の男性の利用者さまで子供の頃家庭の事情で母親から愛情を十分与えられず、不幸な境遇に育ったAさんが、デイで出会い、以前から顔見知りだった自分の母親と同年代のMさんのところに、ある日突然「おかあさん」と言いながら駆け寄ったのです。Mさんも、驚くことなく「Aちゃん」と涙の対面となりました。
場は静まりましたが、誰もが驚くことなく静かにこの事態を受け入れていました。その後もこれに似たような感激の出会いが何組かに起こったのです。そしてどんどんナイスデイの利用者さま同士の一体化が起こってきました。TCよりも強い本能的、人間的り確立していないと思います。
欧米では個人があって、社会があり、国があるという感じです。ちょうど住所を記載する時に、欧米では自分の家の番地を一番初めに書き、町、区、市、府、国というように書きますが、日本では反対で日本国が最初で府、市、区、町、というようになります。欧米ではまず初めに自分があり、それから市、国という意識です。
日本な衝動のようなものがここには存在しているのではないかと、感じられました。この事態をどう考えるべきか、何が起こったのか、その時はわからないので、とてもとまどい驚きました。まったく理解できませんでした。改めてナイスデイのことに集中して考える必要を感じました。デイケアは死に近い人々が集まっているのが、大きな特色です。
このことは決して見落とすことができない大事な要件です。 メンバーは当然と言えば当然のごとく、次々と亡くなって、次々と退所されます。ある時、お世話を通じてスタッフと非常に親しくされていた方が亡くなっていかれるのに、何もしないままでは心残りではないかと気が付きました。どうすれば良いかと考え、追悼式をすることにしました。