(弐)
自在に意識を操作することができる気喪力異能力者、神谷仁(かみやじん)三六歳会社員
ある時、神谷は、いいことを思いついた。この能力をバンジージャンプに使えるのではないかというわけである。そもそも、バンジージャンプは、ジャンプ台にまでは行くことができても、そこから一歩を踏み出すことができずに尻込みしてしまい、みんなに迷惑を掛けることになるわけである。臆病者、小心者といわれて、馬鹿にされてしまうのである。
「せっかくこんな田舎まできて、『ちょっと待って、ちょっと待って』と言うばかりで時間ばっかり掛けたあげく、結局飛べないと言うのかよ。何て情けない奴だ」ということになる。
ところが、そこで気を失えば、逡巡して人に迷惑を掛けなくて済むし、簡単に飛べるすごい奴、ということで、勇気ある人という名誉が得られることになる。これまで遠ざかっていた友人もこれでまた戻ってくるのではないか、と思ったのである。
神谷には、自分が、全く平気な顔をして、バンジージャンプのお立ち台に立ち、谷底に向かって、両手を広げ、大鷲のように美しい姿で飛び出して行く様が、そして、その恐怖の体験を楽しそうにかみしめているかのような余裕にあふれた顔をして上がってくる姿が、更には、この神谷の勇姿を見て賞賛する友人らの姿が、まざまざと脳裏に浮かんできた。それを想像して、うれしくなった。
ただ、実際にやろうと思うと、これがなかなか難しいのに気がついた。
ジャンプ台に立ってもそこで気を失ってしまっては、踏み出すことができない。つまりは、足を一歩踏み出すか、体重を前に掛けて身体を倒して、正に飛ぶ直前の状態になってから、その状態の時に気を失わないといけないわけである。果たしてそのようなことは可能なのであろうか。こんな偶然のような瞬間に気を失うことができるかどうかを試す勇気がないことに気づき、没とした。
そもそも、奈落の底を目の前、というか足下にしながら、つまり崖のぎりぎりの端に立って崖下に足を一歩踏み出すか、体重を前に掛けて身体を倒すには、すでに飛ぶのと同じ勇気が必要なのである。それができるくらいならこんなに苦労していないのである。