【前回の記事を読む】「五十代で風景が一気に変わった」居酒屋店主のサラリーマン時代
サラリーマン生活三十五年、そして大きな決断
若い頃はよく働いた! いや、成果よりも遅くまで長時間働いたという意味です。組合の役員もやっていましたので、仕事終わってから組合の仕事もあり、なかなか早くは帰れませんでした。お先に失礼します! などと帰れる雰囲気も全くありませんでした。
長時間労働することに何か価値があったような時代でもありました。ビルの保安のおじさんとも随分と仲良くなりました。夜中仕事をしている時に
「秋田谷さんお疲れ様です!今日も事務所最後ですね」
と見回りの保安のおじさんに声を掛けられご挨拶。そしてビルを退出する際にご挨拶と。
コロナ禍で働き方改革も進む中で、今では信じられないような労働環境であり、働きようでもありました。
仕事終わってから会社仲間と二軒三軒飲み屋をハシゴ(今の若い人たちにハシゴの意味は分からないだろうなぁ)をし、もう午前様で帰れない時は新橋駅前の汽車ポッポの前の噴水のベンチ(今は汽車ポッポの前には噴水は無く広場になっています)で仮眠をとり、早朝出社もしたもんです。夜が明けて明るくなると噴水の周りにはハトが寄ってきてポッポポッポと「そろそろ出勤で~す」と起こしてくれるんです。最後まで事務所で仕事をし、翌朝事務所に一番乗り!
若い時は体力もあり、長時間労働が当たり前の時代でもありました。
結婚当初は千葉県松戸の社宅でその後、広島転勤やらで首都圏を離れることはありましたが、千葉県の流山、柏と住み替えをしながら常磐線沿線に住んでいました。会社の気の合う仲間数人も常磐線沿線に住んでいましたので、仕事帰り新橋界隈で一杯引っ掛ける関所が何軒かありましたが、おこずかい制のサラリーマンにとっては回数多く行ける安いお店を見つけては通いました。
常磐線沿線の仲間(私達は『常磐友の会』と名付け、今でも続いているんです)とよく行ったのは、常磐線沿線の新松戸駅(上野駅から快速電車で約二十分乗り松戸駅から各駅停車に乗り換え三番目の駅)改札出て十秒の飲み屋。店の名前は無かったと思います。もちろん今はありませんが、駅改札出て右側の空き地にあった掘っ立て小屋。焼き鳥と簡単な一品料理がいくつかあり、いつもビールで喉の滑りを良くしてから日本酒のコップ酒を二、三杯飲み、焼き鳥は炭火で焼いてくれて旨い! 何より安い! 仕事帰りなので、どうしても仕事の話が中心でお酒飲みながらの販売検討会? で盛り上がります。
冬はブルーシートで囲って七輪で暖を取りながらの販売検討会です。いつもおばちゃん三人で切り盛りをしており、「いらっしゃい!」ではなく「お帰んなさ~い!」で千円札二枚でおつりがくるんです。
その常磐友の会の仲間(全員先輩)とは新橋駅から上野で常磐線に乗り換え、松戸駅手前辺りになると