サラリーマン生活三十五年、そして大きな決断
父親の葬儀後、嫁さんと娘を置いて、私だけ先発で広島へ帰ることにしました。広島空港から高速バスで広島市内までの遠く長い時間、目を閉じると父親の集中治療室でのピコッピコッという冷たい電子音と波形が映し出されるモニター、そしてその規則正しい波形の高さが一気に低くなり電子音も消えた瞬間が鮮やかに蘇ってきました。
翌朝社内でバタバタするのが嫌だったので、そのまま広島市内の会社へ直行しました。会社には二十一時頃に着きましたが、やはりこの時間でも皆仕事をしていました。他の部は早々と退社をし、残って仕事をしているのは私の部だけで、仕事の特性上仕方がありません。いつも夜遅くまで得意先も仕事をしており、夜の八時、九時から見積、提案書を持って行くのは日常茶飯事でした。
本当にお疲れ様! あれから年月も経ち、働き方改革も叫ばれてる中、現在は早く帰ってるのだろうか? 気になるところです。
その後、広島へは単身赴任でも行きましたが、この家族帯同の広島での生活で改めて子供の頃の食事が大事であると教えられました。瀬戸内海に面した広島での住まいは西区古江という草津魚港近くの住宅地にありました。魚屋も近くに何軒もあり、いつもの魚屋のおばちゃんとは、今日の仕入状況やお得情報等会話も弾むお付き合いとなりました。
週末は私が、平日は嫁さんと娘が魚を買いに行き、その日に獲れた新鮮な魚をさばいてもらいました。お刺身でも煮つけでも焼いても、どれもこれも美味しかったです。もともと美味しい魚が新鮮にしかも上手にさばかれるので、不味いわけがありません。私は私でお酒が進みますが、幼稚園に通う娘がとにかく魚好きになりました。
魚は何でも好きでしたが、鯛やメバルの煮つけが出てくると目ん玉、皮も好んで食べていました。目ん玉とその周りは、一つじゃなく二つとも食べました(全然、遠慮がなかったなぁ)。
美味しそうに、しかも骨周りもしゃぶってキレイに食べていました。もう猫マタギと言われるくらい身が残ってないんです!ですからその魚屋のおばちゃんは、娘の魚好きを分かってるので、娘が嫁さんと訪れると、娘に
「この魚の目ん玉の周りは最高だよ。皮もトロットロッで美味しいよ」
「これは煮つけにしたら、骨まで食べれるよ」
と幼稚園児の娘にあおってきました。いや! おススメしてくれるんです。おばちゃんのおススメで娘はキラキラと目を輝かせ
「おばちゃん! コレ!」
と。そりゃ、魚が好きになりますよね。それが、広島から東京へ戻ってきたら魚を食べなくなりました。娘に聞くとはっきり
「美味しくないから」
と。子供は味に素直で、この子供の時期に本物の味が身につくんだと思います。だから子供の頃に本物の味、美味しいものを食べさせないといけないと思います。本当に食育は大事。