消えた一億円
松野は亡くなった病院事務長の妻、山本育代に会いに行った。彼女はJR国分寺駅からバスで十分、玉川上水沿いの戸建て団地の一角に住んでいた。
彼女は勤めを早引きして松野を自宅の居間に迎え入れた。彼女の夫の遺影は部屋の片隅の箪笥の上に飾ってあった。実直そうな比較的若い男の顔写真。松野は遺影に軽く会釈し、彼らはテーブルを挟んで向かい合い、彼は聞き取りを始めた。
育代は夫の存命中は専業主婦だった。現在四十歳である。夫を亡くした時は三十六歳だった。結婚する前は短大を出て都心の小さな商社で事務職をしていた。結婚は早かった。中学の先輩だった夫と二十三歳で結婚。夫は六歳上だった。子供が出来て夫の仕事の為に引っ越しもしたので、仕事は辞めざるを得なかった。育代が現在住んでいるこの辺りではオフィス勤めの仕事はない。夫が亡くなってから近くの工場で働き始めたが生活は苦しい。仕事はきついが子供の為と思って頑張っている。
子供は二人、中学三年生と小学六年生である。上の男の子は自分の学費を貯める為に新聞配達のアルバイトをしている。亡くなった夫の働いていた病院は西茂原市では唯一の中規模総合病院である。
「ご主人が病院に勤め始めたのはいつからですか?」
「あの人が亡くなる六年前からですから、かれこれ十年前になります」
「その前は何をしていたんですか?」
「前に勤めていたのは製薬会社で、そこで経理をしていたんですが、中小企業で人使いが荒く、その割には給料が低いので不満でした。それが都心から離れているとは言っても総合病院の事務長になれて、給料も上がって初めは喜んでいたんです。ローンを組んでこの家を購入したのもそれがきっかけでした」
「榊原病院に移ってからご主人の様子に変わったことはありましたか?」
「初めは普通でした。ただ病院の事務長という仕事も実際にやってみると外からは分からない苦労がありました」