【前回の記事を読む】「テメェ生意気なんだよ!!」うつ病の筆者が海員学校で激怒したワケ
待ちに待った社会人
こんにちは、しめさんです。体調の方は大丈夫ですか? 長い人生、のんびり行きましょ!!
いよいよ就職です。僕は上から4番目の成績だった(1学年30人くらいしかいないんですけどね!!)ので、とてもいい会社を選ぶ事ができました。僕の就職希望先は、横浜にあるH株式会社でした。横浜まで面接に行った事を思い出します。面接は順調に行っていたのですが、僕が学生時代に取った危険物取扱者の免許について聞かれた時、緊張のあまり黙り込んでしまった。5分ほど沈黙の時が流れ、そのまま面接は終了してしまいました。
「ああ、落ちたな」と思い、学校に戻りました。数日が経ち、教官に呼ばれ、教官室に行きました。教官に「合格したぞ!!」と言われ、びっくりしたのを覚えています。しばらくして、学年トップの成績のFMちゃんも、僕と同じ会社に合格した事を聞きました。
就職して3カ月は、セメント船での航海訓練でした。日本中、沖縄以外どこへでも行きました。航海訓練を始めて3カ月が経ち、航海訓練は終了しました。セメント船の方々には、大変お世話になりました。「ありがとうございました」
それから横浜に行き、タグボートに乗って働く事となりました。毎朝3時に起きて、発電機を回して朝食の準備です。1日4食、朝昼夜、夜食を作りました。そのおかげで、今では食事はなんでも作れるようになりました。タグボートとは、港でよく見られる船で、船の前にタイヤがいっぱいついている船です。あのタイヤはジャンボジェット機のタイヤなんですよ。
タグボートの仕事は、水先案内人を乗せて港の外まで行き、水先案内人をこれから入港しようとしている船(主に外国船です)に乗せて、入港する時にタグボートからロープを渡して、押したり、引っ張ったりして、船を岸壁につける仕事です。乗組員になり、後輩が入ってくるまで、主に食事を作ったり、船をペイントしたりする事がメインでした。
しばらくして、働きながら普通自動車の免許を取りに、教習所へ通う事になった。働きながらだったので、教習時間がなかなか合わず、免許を取るのに半年もかかってしまいました。
免許を習得してからしばらくして、19歳の時に、トヨタ自動車のハイラックスサーフを購入しました。購入したその日は、車の中で一晩を過ごしたのを覚えています。ホンダのNS250Rに続く、2番目の愛車で、よく乗り回しました。サーフィンに行ったり、キャンプに行ったり、スキーに行ったり。
燃費が良かったので、志賀高原にスキーに行った時、埼玉から長野を往復しても、まだメモリ1つ残すくらいでした。当時、軽油は1リットル当たり60円くらいだったので、4人で割ると交通費は1人当たり600円くらいでした。懐かしい時代です。
当時、『私をスキーに連れてって』という映画が大ヒットしたおかげで、今日はこれくらいにしておきましょうかね。お疲れ様でした。絶対に無理はしないでくださいね。何もせずに、ただ家でゴロゴロしたり、ただただ眠ったりしていてくださいね。間もなく、フル活動しなければならない時が来ると思うので。
それでは、お休みなさい。また明日、お会いしましょう。バイバイ。