花が咲く前
おはようございます。しめさんです。タグボートに乗っていたのは、船長、機関長、航海士、機関士、そして僕。この機関長が、僕を3年間悩ませる事となるとは……。機関長はいつも船のソファーに寝転んでいて、あれしろ!! これしろ!! と、いつも命令ばかりしてきた。
1番辛かったのは石鹸拭きだった。ディーゼルエンジン、発電機、オイル洗浄機など、端から端まで石鹸水に浸けた雑巾で拭いていく。タグボートのディーゼルエンジンは、凄く大きくて(船を曳航するためです)、もの凄い騒音でした。耳元で大きな声で話しても、なかなか聞こえないほどでした。その中で、石鹸拭きをする毎日、食事の時間になると食事を作る毎日、それの繰り返しでした。
だんだん嫌になってきた。しばらくして、気晴らしに横浜市西区のとあるマンションを借りて、住み始めました。就職して1年が経ち、新しく社員が入ってきました。海員学校時代にもめたR君だった。R君は研修を終えて、タグボートに乗ってきました。R君のお父さんは、同じ会社の別のタグボートの船長だった。
R君に、「あの時は悪かったな! 3年生が悪かったんだよ!」と言うと、R君は「いや、2年生が悪かったんです」と言ってくれました。
R君は、僕のマンションに遊びに来るようになりました。当時、僕が借りていたマンションは、26年前で7万8000円、駐車場は2万4000円でした。ワンルームで7万8000円は高いですね。さすが横浜です。それからR君とは、温泉に行ったり、ドライブに行ったり。とても楽しかった思い出です。
入社して3年目、本社の営業に入ってきたMZと、2年後輩のZ君たちと、働く事になりました。MZ(女性)はとても可愛いらしく、Zはかなりのイケメンでした。MZとFMちゃん(男性)と一緒に、カラオケに行ったり、ボーリングに行ったり、よく遊びに行きました。同期のFMちゃんとMZは、後々結婚する事になりました。
タグボートに乗って働いている時の唯一の楽しみが、毎年夏に山下公園沖で行われる花火大会でした。花火大会が始まり、船の上から見ていると、初めからフィナーレのように連発して花火が上がりました。「うわぁー、すげーすげー」と見ていると、その後まったく花火が上がりませんでした。
後で分かったのですが、仕掛けてあったすべての花火に引火してしまったのでした。花火は止み、海上保安庁の船が動きだして、大変な事になっていました。花火師2名が亡くなってしまいました。
夏も終わり、秋になろうとした頃、僕の人生を大きく変える人との出会いがありました。船の乗組員さんたちと、船長行きつけの居酒屋さんに行った時の事です。僕も色々な出会いがありましたがここまで大きく変わる事は、はじめてでした。
今日はこれくらいにしておきましょうかね。お疲れ様でした。また明日。