一陣の風
蒼い風の時代
自分の高校時代の話。部活動のこと。家族の話。将来の夢まで、彼は話し続けた。彼が一浪して、この大学に入学した話は少し意外に思った。てっきり、何の苦労もなく、今までの人生を生きてきた人種だと思っていたから。
私はうなずくだけでよかった。まるで、独壇講演会を聴いているようだった。こんなに話好きの人もいるのだ。世の中いろいろだなあ。でも、うなずくだけなら、自分にもできる。何とかこの場をやり過ごせそう……。そう思い始めたときだった。話をぴたりと止めて、あの言葉を私に浴びせた。
「なんであんたは話をしないの」
いきなり突風が吹いた気がした。えっ? なんで? あなたが話したくて話していたのではないの? 私の割って入る隙間があった?
混乱する頭で彼の顔をもう一度見た。整った顔立ちをしていた。さっきまで、まともに顔さえ見られずに話を聴いていたことに気がつく。
「さっきから、僕ばかりが話しているよね。気まずくならないように、僕は話を続けた。話題を提供した。話したくもない親との関係の話までした。しかし、投げたボールは、一度も返ってこない。会話はキャッチボールなのに」
へえ~。そうだったのか。会話はキャッチボールね。この人はボールを投げる努力していたのか。単なる話好きで、聴いてほしくて、ひたすら話しているのかと思っていた。しかし、気まずい雰囲気にならないように、話題をひねり出していたと彼は言う。世の中のおしゃべり好きの中には、努力の結果で、話し上手になった人もいるんだ。コミュニケーションって、案外相手を気遣うところから始まるのかもしれないな。目から鱗だ。
頭の中では、切れ間なく言葉が流れた。しかし、それは口から出ることはなかった。
「もういいよ」彼は一言つぶやいた。吐き捨てるように。
電車がきた。二人は黙って、二両目に乗り込み、隣に座った。彼はもう話す努力をしなかった。渥美線というローカル電車はときどき大きく揺れながら、私たちを乗せてゆっくり走った。窓の外には、田舎の田畑の光景が広がっている。桜はもう散ってしまったのだろうか。お花見に行きたいな。ぼんやりそんなことを考えた。
終着駅が近づいた。二人は立ち上がった。ここからは別々の帰り道なのだろう。降りてすぐ、私と違う方向に進み始める彼にこう訊いた。
「あなたの名前は?」
えっと驚いた表情のあとで、彼は笑い出した。あんなにいろいろなことを話したのに、まだ自分が名乗ってもいなかったことがおかしかったらしい。彼も緊張していたのかもしれない。
「じゅんいち。大野純一。きみは?」
「ふみ。春野ふみ」
「じゃあね。またね」純一の表情は笑顔に戻っていた。爽やかな風を感じた。
大学生活スタート。恋物語もスタートの予感。のはずだった。